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16世紀の世界の海を支配した「スペイン無敵艦隊」とは?わかりやすく解説

ヨーロッパの商業の中心が変わった

大航海時代以前は、中世のヨーロッパの商業の中心地は陸路でシルクロードに直結していたベネチアなどの地中海沿岸都市でした。しかし、大西洋を横切ったり、南に下る海路が発見されるとヨーロッパの商業の中心地には大きな変化が生じたのです。すなわち、大西洋沿岸都市に商業の中心が変わっていきました。

そして、16世紀前半にはヨーロッパでも早くから大航海を主導したスペインとポルトガルは覇権を競い、とくにアジア進出に積極的だったのです。そのなかで、16世紀中頃に神聖ローマ皇帝の家系であるハプスブルグ家出身のフェリペ2世がスペイン国王として即位します。彼の命令によりスペイン海軍艦隊は世界の海の制覇を目指して、他国の艦隊を撃破し、最強の無敵艦隊と呼ばれるようになったのです。

フェリペ2世の足跡とスペイン無敵艦隊

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フェリペ二世(2世)は、オーストリアのハプスブルグ家から分離独立したスペインのハプスブルグ家出身の国王で、スペインの絶対王政最盛期を築き上げた人物です。それまでは、ハプスブルグ家はオーストリア国王とスペイン国王と神聖ローマ帝国皇帝を兼ねるヨーロッパでももっとも輝く一家でした。フェリペ2世は、そのハプスブルグ家の当主であるカール5世の長男であり、1556年にスペイン国王の座についています。カール5世は、スペインではカルロス1世と呼ばれ、フェリペ2世はその跡を継いだ形になりました。オーストリア国王は弟のフェルディナンドが継いでおり、このときからハプスブルグ家はスペインとオーストリアに別れたのです。でも、フェリペ2世は野望の大きい人物でした。

フェリペ2世によるスペイン最盛期の繁栄

フェリペ2世は、当時宗教革命によってプロテスタントが台頭し、苦しい立場に追い込まれていたカトリックの保護者を自認していました。そのため、彼のスペイン艦隊は兵士だけでなく、カトリックの宣教師を乗せてアジアや中南米に派遣されていたのです。日本でも有名なフランシスコ・ザビエルなどがそのよい例でした。また、彼らは武装した商船としての機能も果たしており、彼の最強のスペイン無敵艦隊は、世界の海を制覇していきます。装備、戦術、操船術、攻撃力どれをとっても世界のどの国の船よりも優れていたのです。

もともとフェリペ2世は、ハプスブルグ家の領地としてオランダ(当時はネーデルランド)やイタリアなどを受け継いでいました。しかしそれらに満足はせず、中南米、北米、フィリピンなどに侵攻して植民地化し、スペインの全盛期を築いていったのです。さらに、その勢いでライバルであったポルトガルを制圧し、ポルトガル王にもなっています(ポルトガル名はフェリペ1世)。これによってヨーロッパの最西端のイベリア半島は統一されたのです。このように、当時のフェリペ2世とスペイン無敵艦隊の勢いは凄まじく、「沈まぬ太陽」といわれていました。この当時はフランスとの戦争でも勝利しています。

また、フェリペ2世の無敵艦隊は、当時地中海の制海権を持っていたオスマン帝国海軍に勝利し、このときに無敵艦隊の名を確立したのです。

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