日本の歴史昭和

日本の再出発を決めた「サンフランシスコ平和条約」とは?詳しく解説

米国では赤狩りが始まるとともに日本の地政学的見直しもおこなわれた

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米国国内の赤狩りの影響はすぐにGHQにも及ぶようになります。

アジアでも、中国で資本主義を掲げる蒋介石の国民党は、毛沢東率いる中国共産党に敗れて台湾に逃れて中華民国を打ち立てざるを得なくなりました。朝鮮半島では、金日成(キム・イルソン)率いる共産党の躍進が始まり、西側に立つ大韓民国との対立から南北に分断される事態になっていたのです。ベトナムなどでもベトコンといわれる共産主義者が台頭していました。

米国などは、せっかく中国を日本から開放し大きな市場を確保できたと思っていました。しかし、それも関わらず、共産主義革命によってアジア諸国は共産主義革命に脅かされ、さらに直接アメリカにまで共産主義革命の波及が起こる可能性まで出てきたのです。

そのため、アジアにおける日本の立場にも変化が出てくるとともに、GHQは日本の経済を立て直し、再独立をさせる必要を感じ始めました

サンフランシスコ平和条約への道のり

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GHQは当初は、日本経済を立ち直らせず、徹底的に戦争の出来ない貧しい国にしてしまおうと考えていました。しかし、共産主義革命を鮮明にしたソ連の東側諸国との東西冷戦が勃発すると、方針転換をせざるを得なくなったのです。

すなわち、すでに朝鮮半島では共産主義革命を広げようとする動きが活発になり、日本でも選挙権の拡大によって社会主義政党が政権を握る事態が生じていました。日本でも共産主義革命が起こってしまえば、アメリカはアジア市場全体を失う可能性があり、さらにアメリカ本土まで共産主義者が押し寄せる恐怖も感じたのです。

そのため、GHQは方針を転換して、日本を共産主義革命の防波堤にするために、国として強化せざるを得なくなりました。アメリカは、新たな経済指針を発表するとともに、税制の専門家のドッチ氏を派遣して、ドッチラインをいう新しい税制を導入させます。それによってハイパーインフレに苦しむ日本の経済を立て直そうとしたのです。

また、日本においても赤狩りを実施して、共産主義者や社会主義者を公職から追放しました。さらに、当時日本の政権を担っていた社会主義政権をスキャンダルによって政権を崩壊させたのです。それとともに復活したのが、新しい日本国憲法などを成立施行させた自由党の吉田茂でした。

朝鮮戦争の発生によって日本の新たな役割が明確に

吉田茂は首相に返り咲くと、アメリカ合衆国を中心としたGHQの姿勢の変化を読み取り、日本の生産力を回復させようとします。吉田茂は1947年には傾斜生産方式によって産業の立て直し政策をおこなったりしていました。そのため、吉田茂は、GHQとも良好な関係を築いており、外交などの対応力にも定評があり、米国側にとっては日本を再独立させる協議の交渉相手の条件として最適な人物だったのです。

朝鮮戦争の勃発による景気回復

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そのときに起こったのが朝鮮戦争でした。朝鮮半島で北朝鮮が大韓民国に攻め入って戦争が勃発したのです。この朝鮮戦争は、日本の立場を大きく変えました

すなわち、日本は朝鮮戦争におけるアメリカを中心とした国連軍の補給基地となり、大量の軍需需要を引き受けることになったのです。それによって、日本の経済は大きく回復することになりました。

もともと日本は経済を復興させる力には定評があり、日本列島がアジアにおける西側の防波堤としての役割が明確に認識されるようになりました。

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