日本の歴史昭和

世界初だった戦艦VS航空機の対決!「マレー沖海戦」をわかりやすく解説

とかく歴史や戦争の話といえば難しいと考える方も多いはず。どこで誰が戦ったとか、誰が勝ってこうなっただとか、ややこしいといったらありませんよね。今回、解説させて頂く「マレー沖海戦」という戦いも、普通に書けば正直言って難しいことこの上もありません。なるべくややこしいことは抜きにして、わかりやすく書いてますので、どうかお付き合いください。

そもそも「マレー沖海戦」ってなに?

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「マレー」というのは現在の東南アジアの国「マレーシア」のこと。細長く突き出たマレー半島にあり、当時は独立国ではなくイギリス領だったのです。なぜこんなところで戦わなければならなかったのか?わかりやすく説明していきますね。

アメリカ・イギリスと戦争を始めた日本

太平洋戦争が始まる前、中国大陸で戦っていた日本は、アメリカ・イギリス・オランダといった国々から「日本がやっていることは侵略じゃないか!今すぐ兵を引き揚げさせなさい!」と非難を浴びていました。

ところが日本はどこ吹く風。「日本の権益を守るためだ!何が悪い!」と逆に開き直る始末。そこでアメリカ・イギリスは日本へ軍需物資を輸出しない経済制裁を課しました。鉄鉱石や石油などが入らなくなれば困るのは日本です。戦争が続けられないどころか、経済的にも行き詰ってしまいます。

とこが、中国大陸からおとなしく撤退するのかと思いきや、日本は自暴自棄といえる行動に出たのでした。

「国際関係なんて関係ないね。こっちはもう国際連盟も脱退してるんだ。米英の要求なんか聞き入れる必要もない!ならば武力をもって戦争を起こし、日本の言い分を認めさせるまで!」

さっそく戦争の準備に取り掛かった日本。先制パンチさえガツンと食らわせておけば、向こうは弱気になって白旗を挙げるに違いない。そんな思惑があったようですね。

このようにして太平洋戦争が始まろうとしていたのです。

とにかく資源が欲しかった日本

日本が考えた先制パンチというのは、相手が油断したところを見透かして攻撃を加える奇襲のこと。いわゆる歴史に名高い真珠湾攻撃ですね。アメリカ海軍に大打撃を与えて動けなくし、その隙に進撃して「日本は強い!」というイメージを植え付け、素早く有利な条件で講和に持ち込むというものです。

しかしそれだけでは心もとない日本は、別の手段も考えました。マレーシンガポールにあるイギリスの拠点を占領して安全を確保した上で、東南アジアの石油資源を手に入れようとする算段でした。

豊かな資源さえあれば船や飛行機を動かすこともできますし、多少戦争が長引いても耐えられるというわけです。今から80年前の昭和16年12月、ハワイとマレーを同時に攻撃するため、日本軍の大部隊が移動していきました。

ところが強敵現わる!

マレーにいるイギリス軍はさして強くはありません。イギリス本国から遠く離れた植民地軍ですし、日本軍が攻撃を始めた途端にどんどん敗走していきました。

ところが思わぬ強敵が立ちふさがろうとしていたのです。それが戦艦2隻を中心としたイギリス東洋艦隊でした。戦艦のうち1隻は「レパルス」という旧式艦。ところがもう1隻は就役したばかりの「プリンス・オブ・ウェールズ」という新造艦でした。大和や武蔵を除く当時の日本戦艦よりはるかに強く、日本艦隊がまともに戦えば勝ち目はありません。

しかも日本海軍は、真珠湾攻撃にほぼ全ての戦力を振りむけていたため、手元に残ったのは貧弱な艦隊ばかり…

しかしイギリス東洋艦隊を放置しておけば、いずれ輸送船の脅威になることは確実。「どうすればいい?何か打開策はないのか?」日本側は焦るばかりです。とはいえ、いずれ決着は付けねばなりません。

こうして日本とイギリスが海の上で激突した戦いが「マレー沖海戦」だったのです。

イギリス東洋艦隊いよいよ出撃!

HMS Prince Of Wales in Singapore.jpg
Abrahams, H J (Lt), Royal Navy official photographer. Post-Work: User:W.wolny This is photograph A 6786 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, リンクによる

いよいよ日本が恐れていたイギリス東洋艦隊が出撃します。日本側にはまともに戦える艦隊もなく、空母すらありません。いったい日本軍はどのようにして戦うのでしょうか?

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明石則実