ヨーロッパの歴史

18世紀に起きた芸術運動「新古典主義」とは?建築は古代ローマやギリシャに学べ!

新しいのか古いのか……。「新古典主義」ってどっちなんでしょう?と一瞬、戸惑ってしまいそうですよね。かみ砕いて考えると「古い時代の考え方や様式を模倣しようという新しい考え方」という意味。18世紀から19世紀に巻き起こった芸術運動のことで、特に古代ギリシャやローマ時代の芸術形式を多く取り入れています。長い間、様々な絵画や彫刻、建築物などを作り続けてきて、一周回って古代に立ち戻ろう、ということなのでしょうか。思った以上に奥が深そうな「新古典主義」。今回はそんな「新古典主義」の中でも特に「建造物」に着目。18世紀から19世紀にかけて建てられた「新古典主義」の建造物をえりすぐってご紹介します。

古典が新しい?新古典主義(ネオクラシズム・NeoClassicism)とは?

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18世紀末、フランス革命によって絶対君主の時代が揺らぎはじめ、その余波がヨーロッパ全土に広まり始めた時代。芸術の世界にも大きな変化が起きていました。そんな中、注目されるようになったのが古典主義。ちょうど、考古学や遺跡発掘などが盛んにおこなわれるようになった時期とも重なり、ヨーロッパの人々が古代への関心を募らせていた時代でもありました。今回はそんな新古典主義の中から、建築分野に注目。新古典主義の代表と称される有名建造物をいくつかご紹介しながら、新古典主義の特徴について解説します。

新古典主義誕生の背景とは?

フランス革命の後、ブルボン王朝の持ち物だったルーヴル宮殿が一般開放され、美術館として使われることになりました。

王室や宮廷貴族たちの贅沢に翻弄され、長年、高い税金と貧困に苦しめられてきたフランスの民衆。ルーヴル宮で、きらびやかで豪華な装飾を施した建物と、数々の美術品を目にした人々は何を思ったでしょうか。

時代は大きく変わりました。民衆の手によって悪夢のような絶対王政は崩され、平民出身の英雄・ナポレオンが台頭。もう、帝政時代の過度に飾り立てた芸術品など見たくもない。そんな心境だったのかもしれません。

新古典主義誕生の理由としてもうひとつ、18世紀は古代遺跡の発掘が盛んにおこなわれた時代であった、という点にも注目すべきでしょう。イタリアでは、古代都市ヘルクラネウムやポンペイなどの発掘調査が始まります。どちらも、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれてしまった古代の町。突然姿を現した2000年以上も前の都市の姿にヨーロッパの人々は熱狂。古代熱が一気に高まったといわれています。

ロココ式との違いは何か?

ロココとは、ルイ15世の時代に始まった芸術様式。優美で繊細、豪華絢爛。華やかでお気楽。享楽的で官能的。ルイ14世時代に流行したバロック様式は絶対王政を称えるための荘厳な雰囲気を持っていましたが、その反動なのか、ロココはどこか陽気で明るい雰囲気を持っています。

絵画の題材も、陽気で明るく、かわいらしいものが多いのも特徴。画家たちは、上流階級の女性たちにウケそうな絵を好んで描いていたのかもしれません。

そんな優美で華やかなロココ様式。しかしフランス革命でブルボン王朝が廃れると、表面ばかり無駄に飾り立てて中身のない芸術、と軽蔑され卑下されるようになります。

その反動で誕生したのが「新古典主義」です。

「古典主義」という動きは、17世紀にも一度起きています。美術や文芸、建築などの分野で、古代ギリシャ・ローマの芸術作品を規範として調和や形式美を追求しようという芸術運動です。ただ、現代では一般的に「古典主義」といえば18世紀後半の「新古典主義」のことを指します。

新古典主義の特徴とは?

新古典主義とは、古き良き時代の芸術を再評価しよう、という芸術活動。

古代ギリシア・ローマの芸術に倣い、調和性や統一性、形式美、自然の美しさを重んじ、知的で格調高い表現を用いた芸術様式が中心となっています。

こうした動きは、建築、絵画、彫刻、工芸、音楽など様々なジャンルで展開。新古典主義はフランスを起点に、ヨーロッパ全土に広がっていきました。

絵画の分野では、ジャック=ルイ・ダヴィッドの『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』や、ドミニク・アングルの『グランド・オダリスク』といった作品がよく知られています。

安定した構図、丁寧な描写、写実的で、歴史の一場面を切り抜いたような知性あふれる題材。色彩は豊で華やかさはあっても、ロココ時代のようなお気楽さは感じられません。

新古典主義時代には数多くの芸術作品が誕生し、20世紀以降の芸術界に大きな影響を及ぼします。

荘厳で美しい!新古典主義を代表する建造物をご紹介!

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新古典主義様式の建造物は、壮大でスケールの大きなものが多く、観光スポットとして有名なところがたくさんあります。まるで古代にタイムスリップしたかのような、厳かな雰囲気をかもし出す新古典主義の建造物。今回は数あるなかから、特に有名なところをピックアップしてご紹介します。

代表的な新古典主義建築(1)パンテオン

パリには見ごたえのある巨大建造物がたくさんありますが、ひときわ目を引く建物といったらやはり、パリ5区にある「パンテオン」でしょう。

新古典主義建築の代表ともいわれる建造物です。

パリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴに捧げるため、1755年、はじめは教会として建てられました。

幅110メートル、奥行き84メートル。中央に大きなドームを持ち、コリント式(古代ギリシアの建築様式のひとつ)の巨大円柱が特徴的。セーヌ川を望む洗練された街並みの中にそびえ立つ優美な建物は観光スポットにもなっています。

外観も美しいですが内部も秀逸。ここは地球の自転現象実験「フーコーの振り子」の実験が行われたところとしても知られており、天井からつるされた振り子が今も静かに時を刻んでいます。

もともとは教会でしたが、現在ではフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されてるようになったパリのパンテオン。キュリー夫妻、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、ジャン=ジャック・ルソーなどパリで活躍した偉人たちが埋葬されています。

代表的な新古典主義建築(2)エトワール凱旋門

パリ・シャンゼリゼ通りの端、シャルル・ド・ゴール広場にそびえ立つ巨大な門。エッフェル塔とともにパリを象徴する建造物として知られる建造物です。

あの凱旋門も、新古典主義を代表する建造物といわれています。

「凱旋」というからには、おそらくあの人のために作られた建物だろう、ということは容易に想像つくところですが、そう、ナポレオンのために建てられた門なのです。

1805年、ナポレオンはアウステルリッツの戦いでオーストリアとロシアに勝利。フランス皇帝としての地位をゆるぎなきものにします。

この戦いの勝利を記念して、翌年1806年、ナポレオンの命令で建設が始まったのがあの凱旋門。完成までに30年もの歳月がかかったのだそうです。

高さ50メートル、幅45メートル、奥行き22メートル。これがオフィスビルやマンションではなく「門」だというから、当時のナポレオンの権力の大きさをうかがい知ることができます。ただ、ナポレオンはこの凱旋門の完成を待たずして亡くなってしまっていますが……。

それでも、凱旋門の勇壮さに変わりはありません。英雄亡き後、現代のパリでも、すべてがこの凱旋門を中心に回っているかのようです。

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