幕末日本の歴史明治明治維新江戸時代

明治陸軍形成に大きな影響を与えた軍政家「山県有朋」の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

軍政家、山県有朋

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戊辰戦争に勝利した明治政府は、矢継ぎ早に諸制度を整えます。軍事関係は、長州出身の大村益次郎に委ねられましたが、大村が暗殺されたため、山県が大村の事業を引き継ぎました。1877年におきた西南戦争では、実質的な総司令官として官軍の総指揮をとります。また、山県は西南戦争やその後におきた竹橋騒動などで軍に広がった動揺を治めるために発布された軍人勅諭の制定にもかかわりました。

大村益次郎の死と国軍の整備

戊辰戦争終結直後、新政府において軍の編成にあたっていたのは大村益次郎でした。大村の構想は国民皆兵の近代的な国民軍をつくることです。しかし、大村は1869年に刺客に襲われ暗殺されてしまいました。大村の構想を受け継ぐことになったのが山県です。

1872年、山県は陸軍省の次官にあたる大輔に就任。薩摩・長州・土佐から集められた御親兵を近衛兵と改称し天皇の警護を担当させます。1873年には日本全国は6つの軍管区に分け、六鎮台を設置しました。

その上で、20歳以上の男子に3年間の兵役を課す徴兵令を布告しました。今までは武士だけが担っていた武器を持って戦う役割が、身分に関係なく庶民にも課せられるようになります。

しかし、同時に士族たちの俸禄を事実上廃止する秩禄処分や武士の誇りである刀を取り上げる廃刀令などが実施されたため士族たちは強い不満を持ちました。

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