元老、山県有朋
明治時代の後半に入ると、伊藤博文や山県有朋、松方正義といった政界の長老たちは第一線を退きます。しかし、彼らは「元老」とよばれ明治時代・大正時代・昭和時代の政治に大きな影響を与えました。
元老として数えられるのは、伊藤、山県、松方、黒田清隆、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望です。中でも、伊藤と山県の影響力は抜きんでていました。元老は天皇が内閣総理大臣を指名するときに意見を求められる存在となります。
ちなみに、最後の元老となったのは西園寺公望。西園寺が1940年に死去したのち、元老は置かれませんでした。元老が担った首相推薦の仕事は、内大臣が主宰し、元首相や枢密院議長らが行う重臣会議へと引き継がれます。
山県有朋の死
1922年1月、山県は肺炎を患っていました。病気療養のため、東京から離れた小田原の別邸に滞在します。2月1日、山県の容体は急変し亡くなりました。享年85。山県の葬儀は国葬として執り行われます。しかし、1か月前に死去した大隈重信と異なり、藩閥の親玉とみられていた山県は国民的人気がありませんでした。そのため、葬儀は非常に閑散としたものとなります。