その他のモンロー主義によるアメリカ外交への影響事例
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モンロー主義は、1823年以降、確かにアメリカ合衆国の外交政策に縛りを与えていました。ヨーロッパにおける戦争や、アフリカ大陸のヨーロッパ諸大国による植民地戦争にも参加していません。
アメリカスペイン戦争後の第一次世界大戦においても、アメリカ船がドイツに攻撃を受けるまで戦争には参戦していません。その例を見てみましょう。
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ウィルソン大統領の14ヵ条とその後の国際連盟不参加
第一次世界大戦当時の米国は、当時のアメリカ合衆国大統領であったウィルソンが平和原則十四ヵ条を発表して積極的に外交面で介入していこうとしていう姿勢も見えていました。しかし、結果的には、第一次世界大戦後の講和会議でヨーロッパ諸大国が植民地の独立を認めないことを容認しています。さらに、ウィルソン大統領の提案で大戦後に設立された国際連盟にも米国は参加しませんでした。これは、米国内でモンロー主義の観点で反対が多かったことによるものです。
このように、モンロー主義から100年近くたっても、米国の外交姿勢には変質しつつある部分があるとは言え、依然としてモンロー主義の縛りが残っていました。
このモンロー主義から完全に脱却するきっかけは第二次世界大戦でした。
実質的にモンロー主義が不可能になった第二次世界大戦後のアメリカ
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第一次世界大戦後には、アメリカ経済の発展は著しく、世界の工場と言われたイギリスを上回っていました。そのため、次第にモンロー主義にこだわって孤立主義を貫くことは難しくなったのです。アメリカ発の世界恐慌が世界の国々に波及したことでもそれは明らかでした。第二次世界大戦に参戦したことによって、軍事的にも経済的にも世界を牽引していくことになったのです。とくに、ソ連が東ヨーロッパを軍事占領をして共産主義化したことにより、冷戦が生じ、ヨーロッパ諸国とNATOを設立せざるを得なくなりました。また、アジアの敗戦国の日本列島にも基地を維持し、同盟を結んで、実質米軍を駐留せざるを得なくなったのです。
これはすでにモンロー主義の破綻にほかなりませんでした。
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