米騒動の結果、政党政治時代への移行_原敬内閣の成立
寺内内閣の総辞職を受けて、元老院の山県有朋が西園寺公望に組閣を持ち込みますが、西園寺はこれを固辞します。誰もが火中の栗を拾うことはしたくなかったのです。
結局、立憲政友会の総裁であった原敬が首相になり、組閣しました。この原敬は、明治維新以来、初めての庶民出身の総理大臣であり、平民宰相と言われて当初は人気が非常に高かったのです。
それまでの日本の内閣は、長州閥・軍部内閣と政党内閣で政権のたらい回しをしていましたが、長州閥出身の寺内正毅の失敗で終止符が打たれてしまいます。これ以降、五・一五事件まで政党内閣が続くことになったのです。寺内正毅は、朝鮮半島の植民地化当時に、初代の朝鮮総督になったことでも有名でした。
こちらの記事もおすすめ
米騒動は初めて一揆が全国に燃え広がった事件だった
明治維新以降も農民の一揆はありましたが、それらはその地域だけの出来事に終わっており、全国的に一揆が燃え広がったのは、米騒動が初めてでした。明治維新以降の教育体制が整備(この当時には識字率は90%を越えていた)され、さらにそれに伴って新聞が全国各地で発行され、全国紙も生まれていたことが大きかったのです。地域の情報は、すぐに新聞などによって全国にひろまっていくことになりました。
現代の情報過多の時代では暴動が起こらなくなった
現代では、新聞だけでなく、雑誌などの発行も増加し、テレビの普及、さらにはインターネットなどによっていつでもさまざまな情報が手に入る時代になっています。しかし、現代では、当時のような騒動は起こらず、ネット上で炎上と言われる些細なことで批判が集まる時代になっているのです。大規模なデモも、1960,70年の第一次、第二次安保闘争以来、途絶えています。
日本人の生活が豊かになり、飽食の時代を迎えているためとは言え、日本人の怒りのパワーはどこに行ってしまったのでしょう。最近になって、ようやく格差問題が盛んに言われ、貧困問題も一部マスコミで報じられている今日この頃です。でも、あまりにくだらない問題で燃え上がるネットを見ても、平和ボケが蔓延してしまっているのに驚かされますね。
豊かになって米騒動が遠くなった現代社会
米騒動は、日本の庶民生活が苦しかった時代に起こった騒動でした。1991年にも米不足による米不足騒動がありましたが、騒動というような暴動は起こっていません。豊かになって、大正時代の米騒動のような暴動は遠くなっているのが現代です。それはそれで良いことと言えますが、最近では格差問題と貧困問題も生まれています。豊かすぎる社会に馴れた私たちは、もう一度真剣にこの社会のあり方を考えなくてはいけない時代になっているのではないでしょうか。
こちらの記事もおすすめ
【大正桜に浪漫の嵐】15年しかなかった大正に花開いた様々な事件と文化 – Rinto~凛と~