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日本が参加した戦争って?明治維新以降の近代の戦争をわかりやすく解説!

日本は、最後の戦争であった第二次世界大戦からもう73年以上経過してしまいました。この70年以上、戦争に参加していませんが、明治維新の後では、さまざまな戦争に継続して参加していました。 明治維新より前にも、織田信長の意思を継いだ豊臣秀吉の朝鮮出兵や元寇で攻められたこともありましたが、ここでは明治維新以降の戦争について、ご紹介してみることにしましょう。

初めての戦争:日清戦争

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日本の初期の戦争参加は朝鮮半島を巡る利権争いに伴って行われています。日清、日露戦争ともに朝鮮半島の利権争いが発端になっていたのです。現在では、朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分かれ、韓国とも慰安婦問題、徴用工問題などで政府間の対立が深まっていますが、テレビでは韓流ドラマが依然として盛んですね。

NHKの大河ドラマ「西郷どん」でも、征韓論を唱えた西郷さんが明治初期に敗れて薩摩藩に帰っていますが、当時の朝鮮半島を巡る争いは中国の清との争いでした。

明治時代中期以降、朝鮮王朝では親清派と親日本派との争いがあり、そこに1894年に農民の反乱騒動(甲午農民戦争)が起こり、両派がそれぞれに軍隊の派遣を要請しました。中国の清は当然のように出兵します。それに対して、当時朝鮮への出兵を控えていた日本も、いい機会ということで出兵し、朝鮮半島内で清軍と衝突し、日清戦争に発展したのです。

日清戦争の結末

当時の中国の清は、かの悪名高い西大后が政権の実験を握っていましたが、アヘン戦争以降、太平天国の乱、アロー戦争などにより国力は疲弊して、外国の列強諸国が進出侵攻しつつあり、軍事力も弱かったのです。瞬く間に日本は勝利することが出来ました。逆に日本は、明治維新以降、富国強兵政策をとり、帝国憲法の発布前後からは、産業革命が進み、西洋式軍隊を整備して古い体制のままの清を打ち破ることができたんです。

ちょうど、西南戦争で刀に頼った西郷軍が、徴兵制で集めたばかりの兵力ながら、最新式重火器を持った明治政府軍に敗れたのと似ていますね。これによって、日本は朝鮮半島支配への足場を築き、清勢力を一掃したのです。一方の清は、その後、義和団の乱などもあり、列強諸国の侵略、占領を受けて、1911年には辛亥革命が起こり、滅んでしまいます。中国国内そのものが植民地化しちゃったのです。

日本の実力が認められた戦争:日露戦争

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日本は、日清戦争によって、朝鮮半島に足場を築きましたが、この朝鮮半島を狙っていたのは清だけではありませんでした。ロシアも南下政策をとって朝鮮半島を狙っており、せっかく日清戦争で手に入れた遼東半島の領有権をロシア、フランス、ドイツなどの圧力(三国干渉)によって手放さなくてはならなくなったんです。同時に、ロシアは朝鮮半島への進出圧力を強めてきました。

そのため、日本とロシアは、朝鮮半島を巡って対立が深まり、国内でもロシアに対する反発機運が強まったんです。伊藤博文などは、「国力的にまだロシアとの戦争には早い」と回避しようとしました。しかし、遂に山県有朋を中心とした幕末に活躍した長州勢力により、軍部の力が強まり、イギリスと日英同盟が結ばれて、1904年に遂に日露戦争に至ったのです。

日露戦争の顛末はどうだったの?

当初から戦力的に不利と言われ、実際、日清戦争では数日で落とした遼東半島の旅順攻略には、2ヶ月以上かかってしまったのです。映画の「二百三高地」は、この当時を描いていましたね。また、司馬遼太郎の小説「坂ノ上の雲」にも詳しく描かれているんですよ。かなり苦戦するも日本は東郷元帥率いる連合艦隊が、ロシアのバルティック艦隊を破ったことで日本を有利に傾きます。しかし、日本の国力、軍事力もこの時点で限界に達しており、結局、アメリカの仲介により、ポーツマス条約で戦争を終わらせざるを得ませんでした。

 

日露戦争の結果、どうなったの?

ポーツマス条約では、ロシアから賠償金を得られず、国内では弱腰外交政策と政府に対する批判が高まり、日比谷暴動などが起こってしまったんです。しかし、この日露戦争の勝利によって、日本は欧米列強の仲間入りを果たしました。朝鮮半島における領土と利権を獲得したのです。朝鮮王朝に対する支配力を強め、1911年には遂に日本総督府を設置し、朝鮮半島を植民地化しました。日本総督府は、朝鮮半島内で一般農民などの土地財産を略奪して支配力を高めたために、現在でも日本に対する半日感情が強いのです。

この当時、まだ中国への利権争いに遅れをとっていたアメリカは、中国の遼東半島を手に入れた日本の脅威に対する警戒を強め、日本の朝鮮半島を足掛かりにした中国清への進出を阻もうとしていました。今と違って、日米は対立していたんですね。また、日本国内では、長州閥を後ろ楯にした軍部が政治への介入を強めていいきました。

世界史上初めての世界大戦に参戦:第一次世界大戦

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日本は、日露戦争前に当時世界最強国であったイギリスと日英同盟を結びましたが、その条約を理由として、1916年に欧州で勃発した第一次世界対戦に参戦を決めます。第一次世界大戦は、ボスニアヘルツェゴビナのサラエボで、セルビア青年が当時のオーストリアの皇太子を暗殺したことから始まりました。オーストリアを支持するドイツ、イタリアなどと、セルビアを支持するイギリス、フランス、ロシアなどとの大国間の戦争が始まったのです。

第一次世界大戦の結末と日本の台頭

結局、ロシアで革命が起こり、ソビエト連邦(ソ連)が成立して、戦線から離脱しましたが、最終的には、アメリカの参戦もあり、1918年にイギリスなどの連合国側の勝利で終わります。日本は、この戦争で、当時ドイツが持っていた中国の占領地を攻め、領土として手に入れたんです。

同時に、この戦争が、ドイツを中心とした欧州内で行われたため、日本は、工業製品の生産力の弱った欧州列強に代わってアジアなどの輸出市場に工業製品の輸出を行い、国力も一気に高まりました。また、アメリカも、北米が戦場にならなかったため、大戦後には世界的な指導力を発揮し始めますが、自ら提唱した国際連盟には参加しませんでした。

 

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