大正平成日本の歴史昭和

1955年の結党以来日本政治に大きな影響を及ぼした「自民党」を元予備校講師がわかりやすく解説

政権奪還と小泉政権

非自民非共産の連立政権は細川内閣、羽田内閣と続きました長続きしませんでした。自民党は連立の枠組みを崩すため、かつて対立していた社会党と提携。社会党の村山政権を成立させます。

1996年には自民党の橋本龍太郎が組閣し自民党政権が復活しました。2001年、「自民党をぶっ壊す」と主張し郵政民営化などを訴えた小泉純一郎が自民党総裁選に勝利し首相となります。

清新なイメージと歯切れの良さが支持され、小泉内閣の支持率は戦後最高の約80パーセントを記録しました。小泉はかねてからの主張であった郵政民営化を断行。反対派を「抵抗勢力」として排除しました。

また、北朝鮮訪問による平壌宣言調印や海上自衛隊の海外派遣、靖国神社への参拝などを行います。小泉によるパフォーマンス重視の姿勢はポピュリズムとして批判を受けることもありました。

2度目の野党転落と政権奪還

2006年、小泉純一郎の任期満了に伴う自民党総裁選で安倍晋三が勝利し、第一次安倍内閣が成立しました。

初の戦後生まれの総理大臣として期待されましたが、郵政選挙で造反した議員の復党問題や相次ぐスキャンダルによって苦しい政権運営を迫られます。2007年の参議院選挙で敗北したのち、安倍は首相を辞任しました。

その後、福田康夫麻生太郎と自民党の内閣が続きましたが2009年の衆議院選挙で自民党が大敗。ふたたび政権を失いました。

2009年から2012年にかけては民主党政権が続きます。2012年12月の総選挙では自民党が民主党に勝利。再び、自民党政権が復活しました。

2013年に成立した第二次安倍内閣は2019年現在でも政権を担当しており、戦後最長となる可能性が高まっています。

自民党の政策と組織

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1955年、自民党は憲法改正を大きな目標としていました。党結成時に作成された5つの基本的な文書でも憲法改正と議会政治の尊重を党の理念として掲げました。現在の自民党は党四役とよばれる幹部を中心に運営され、全国にある地方組織と連携。結党理念や基本政策、組織、役職などについてまとめます。

自民党の政策と組織

自民党結党時に作成された5つの文書には自民党の基本理念や目指す政策が書かれています。これらの文書で自民党は議会制民主主義の尊重個人の自由・尊厳を守ること、平和の確立自主憲法の制定自衛軍備の充実などを目標として掲げました。

また、国際連合を重視する姿勢も示します。自民党の綱領は2005年と2010年に改訂されました。

2005年の改定では循環型社会の構築と男女がともに支えあう社会の促進が盛り込まれます。

2010年の改定では自らは自由主義・民主制を守る政党と位置づけ、新憲法の制定や自主防衛、自助自立する個人の尊重などを自民党の理念とすることを再確認しました。また、国や地方の債務増加を踏まえ、国債残高の減額ももりこまれます。

自民党の重要役職

自民党は総裁を頂点とし、党四役とよばれる幹部が総裁を補佐します。党四役とは幹事長、総務会長、政務調査会長(政調会長)、選挙対策本部長のこと。

四役の中で最も強い力を持つのが幹事長です。党のナンバー2にあたる副総裁は常設のポストではないため、幹事長が事実上のナンバー2となりますね。

総務会長は党内の重要事項を決定する総務会の議長。政務調査会長は自民党の政策部会である政務調査会の議長で自民党として国会に法案を出すときには政務調査会の審査を経る必要があります。

調査会で審議される内容は多岐にわたり、常設の調査会だけではなく特別調査会や特命委員会も必要に応じて設置されました。技術立国や文化、経済、税制、社会保障制度の整備などを総合的に審議し懇談会を開催しています。

選挙対策本部長は文字通り、選挙対策の責任者となり衆院選・参院選や重要な地方選挙でも活動。従来からある幹事長や政調会長、総務会長と並ぶ役職となりました。

自民党を含めた多くの政党についてもっと知るべきではないか

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1955年の結党以来、日本政治に大きな影響力をおよぼしてきた自民党は日本の政治を語るうえで無視できない政治団体です。若者の政治離れが指摘され、投票率の低下などが問題となっていますが、有権者である私たちは自民党を含め、令和の日本政治にかかわっている政党についてもう少し知っておくべきかもしれませんね。

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