安倍晋三、若き日の経歴
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そもそも安倍さんってどんな政治家なのでしょう?一度は倒れたものの復活して再び政権を樹立。「美しい国」実現と戦後レジームからの脱却を求めて「右翼」と評されることもある政策を実施してきました。内閣総理大臣にして自由民主党総裁、安倍晋三。政治家一家のサラブレッドとして若き日から経歴をたどりましょう。(記事内の人名は敬称略しています。自由民主党は「自民党」に統一しました。)
華麗なる政治家一族の次男として
安倍晋三は1954年、東京都に生まれます。日本の政界の華麗なる一族といえば、大久保利通の血縁で吉田茂を祖父に持つ麻生太郎元総理大臣(安倍政権下では副総理)が有名。安倍晋三の家系もとっても華やかです。母方の祖父は後の首相・岸信介。同じく母方の大叔父は後の首相、佐藤栄作です。また父方の祖父の安倍寛も衆議院議員でした。
まさに政治家一族。世襲のサラブレッド議員のいいところは、権力に携わる人々や舞台を幼少期から間近に見ることができることでしょう。一代限りの政治家も市民の感覚を反映しているためになくてはならない存在です。がそれとは違った世界で、政治家として英才教育的な環境で安倍晋三は育ったのですね。
学生時代は、小学校から大学まで成蹊学園(せいけいがくえん)に在籍します。ちなみに小学生時代の家庭教師は、のちに衆議院議員もつとめた平沢勝栄。大学では法学部政治学科を専攻しました。1977年から1978年にかけて渡米、アメリカで語学を身につけます。まさに政治家として立つべき道を一直線に駆けぬけたのでした。
政界入りと結婚、初当選
政治家・安倍一族の跡取りとして、安倍晋三は1982年から政界に入ります。父・晋太郎が外務大臣に就任していたため、その秘書官となったのです。5年後の1987年、現在の妻・昭恵と結婚。森永製菓社長の令嬢でした。
1991年に父親が急死したのにともない、1993年、第40回衆議院議員総選挙で初当選しました。選挙区は山口県の旧山口1区(現在は改編され山口4区に)。父の地盤を受け継いでの初当選でした。その後2020年までに9回当選しています。
この1993年といえば、非自民・非共産連立政権の細川内閣、羽田内閣のとき。しかし、それまでの野党が政権を握ったとたん弱さが露呈し、これは10ヶ月で破綻し終わっていました。安倍晋三が衆議院議員のバッジをはじめてつけたのは、そんな混迷した時流の頃だったのですね。安倍晋三は立て直した自民党で内閣官房副長官まで出世します。
ポスト小泉として活躍
アラサー以上の方ならば覚えているはずです、平成に入って自由民主党の一党優位が続いていたとは言え、ずっと政権が短命だったことを。コロコロ変わるどの内閣支持率も低迷を続ける中ある日、2001年にライオンヘアーのおじさんが現れたことを。「自民党をぶっ壊す」と宣言し、小泉旋風を巻き起こした総理大臣、小泉純一郎です。
小泉純一郎は郵政民営化、聖域なき構造改革など新自由主義経済を推進しました。このとき内閣官房副長官として、小泉純一郎の右腕となり活躍したのが安倍晋三。過剰な自国卑下や自虐史観といった思想を取り除く「戦後レジームからの脱却」を目指した小泉純一郎のもとで活躍したのです。
特に歴史に残る北朝鮮との会談においては「安易な妥協をすべきではない」という毅然とした外交態度を示しました。小泉純一郎首相は任期満了にともない2006年に内閣総理大臣を辞職。それに代わって、ポスト小泉の筆頭だった安倍晋三は第90代内閣総理大臣に任命されるのです。
第一次安倍内閣と「美しい国」
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さて、5年に渡り小泉旋風を巻き起こした後に政治の舞台を去っていった小泉純一郎。その直後の政権を第90代内閣総理大臣としてになうことになった安倍晋三は、あのときどんな政策を打ち出したのでしたっけ?2006年9月から2007年9月まで1年間続いた安倍政権の流れを追いましょう。
安倍さんって右翼?「美しい国」とは
この第一次安倍内閣の時に印象に残るキーワードが「美しい国」です。安倍晋三の著書「美しい国へ」は、自信を持てる国づくりと保守とは何かを説いて左派による政治が長く主導権を握っていた日本に衝撃を与えました。この中で戦後レジームからの脱却を説いています。
戦後レジーム(戦後体制)とは、第二次世界大戦後に確立された世界秩序のことです。日本においては憲法9条に代表される平和主義と戦力の放棄、太平洋戦争で加害者となったことに対するアジア諸国への謝罪がなされました。しかし日本の美点や、特に近代に行われた偉業などが無視されて自国を卑下する「自虐史観」にとりつかれていたのも事実。戦後レジームからの脱却では、この歪みを正そうとしたのです。
さて実際に安倍晋三の思想が「右翼」かどうか聞かれると、そうとも言えません。正確には「中道」または「中道右派」と呼ばれるものでしょう。一般に極右、右翼の政策は外国人排斥の行動などの特徴が見られます。が、安倍政権では移民政策や外国人労働者の推進が行われており、厳密に右翼と言い切ることはできません。それでも「日本に謝罪と賠償をずっと求めてくる韓国に対し毅然とした態度を取る」というようなことは、それまでの政治から見たら衝撃を受ける行動でした。
日本の政党政治の歪み
ここで日本の政治文化についておさえておきましょう。日本は政治学の観点から見ると「一党優位政党制」です。独裁制だと野党はお飾りで発言権が一切無い決まりだったり、野党がいなかったりします。それとは違うんですね。
1つの政党が強大な勢力を持つこの一党優位政党制のデメリットは、いかんせん強い力を持つ与党が腐敗した場合のストッパーが少ないこと、野党が実力を持たないことです。自由民主党が長期にわたって与党でいることで、だんだん日本の政党政治はバランスを危うくしていきました。
2007年から「安倍おろし」と呼ばれる、自民党内の勢力争いが激化します。これには参議院議員選挙での自民党の敗北も関わっていました。当時の日本の政治は、突破口を求めてどうしようもなくなっていたのです。内外から安倍政権は危うくなっていきます。