幕末日本の歴史明治明治維新江戸時代

幕末動乱から日清・日露戦争まで君臨した「明治天皇」を元予備校講師が解説

幕末から明治維新という日本史でも屈指の動乱時代に天皇として日本に君臨した明治天皇。明治天皇には古代から連綿と続く天皇制を維持しながら、欧米列強と競い合うことができる近代国家に脱皮させるという重要な仕事がありました。そのため、伝統的な和装から洋装に切り替え、かつての天皇と全く違う新しい天皇像を示します。今回は、幕末動乱から日清日露戦争まで在位した明治天皇と明治時代についてみてみましょう。

幕末・維新期の明治天皇

image by PIXTA / 46534333

幕末動乱の極まった1867年、時の帝であった孝明天皇が突如として死去。明治天皇は若干14歳で即位しました。明治時代が始まり、文明開化が進むと明治天皇の宮中での生活も一変します。また、明治天皇は新国家の樹立を国民に知らしめるため、全国各地を巡幸しました。幕末・維新期の明治天皇についてみてみましょう。

明治天皇の即位と戊辰戦争

1867年、明治天皇は14歳の若さで天皇に即位しました。その前年には坂本龍馬の仲介で薩長同盟が成立。幕府による第二次長州征伐が失敗に終わって幕府の権威が急低下していました。

14代将軍徳川家茂の急死後、15代将軍となった徳川慶喜が巻き返しをはかります。徳川慶喜は急速に高まる討幕の機運を抑え込むため、1867年10月14日に大政奉還をおこないました。明治天皇がこれを許可したことから、江戸幕府が終焉を迎えます。

1867年12月、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視らを中心とする討幕派は朝廷に働きかけ王政復古の大号令を出しました。この後、明治天皇臨席のもと開かれた小御所会議で朝廷が徳川慶喜に領地の返還や官位の辞職などを求めたため、徳川家臣が猛反発。戊辰戦争へとつながりました。

戊辰戦争中の1868年4月、明治天皇は五箇条の御誓文を出します。これにより、明治政府の政治方針が明らかになりました。

文明開化と明治天皇

戊辰戦争終結後、明治天皇は京都御所から江戸城へと住まいを移し、江戸を東京と改名します。東京遷都後、太陽暦を導入するなど欧米化・近代化がはかられました。

明治時代の最初の10年間は様々な変化が一気に訪れた時代です。例えば、江戸時代の象徴ともいえる「まげ」。1871年に散髪脱刀令が出され、髪型を自由にしてもかまわないということになりました。1873年には明治天皇も散髪。良く知られる洋装で散髪姿となりました

食生活も変わります。1872年に、明治天皇が初めて西洋料理を食べました。この時、牛肉などはじめて食べ、肉食解禁の先駆けとなります。欧米流のテーブルマナーが導入されたのもこの時でした。

その一方、明治天皇は日本刀をことのほか愛したことでも知られています。その数300振に及びました。和食も好きだったとのことで、欧米化一辺倒ではなかったようですね。

天皇を中心とする中央集権国家の樹立と明治天皇の全国巡幸

明治天皇が東京に移って間もなく、土地と人民を天皇に返還するという版籍奉還がなされました。しかし、これはあくまでも形だけで、実際の地方政治は江戸時代と同じく藩主が行います。

1871年、明治政府は西郷隆盛率いる御親兵の武力を背景に廃藩置県を断行しました。これにより、中央集権化が進みます。

廃藩置県の前年、1870年に出された大教宣布の詔では、天皇中心の国家神道を国民に布教することが布告されました。明治政府は天皇を中心とした中央集権国家を作ろうとしたのです。

そのためには、国民に天皇の姿を示すことが重要でした。明治天皇は1872年に九州・四国、1876年に東北・北海道、1878年に北陸・東海道、1880年に山梨県と東山道、1881年に山形・秋田・北海道、1885年に山口、広島、岡山と合計6回にわたって日本各地を巡幸します。

次のページを読む
1 2 3
Share: