院政:摂関政治の後に誕生した新しい権力の形
院政(いんせい)とは、天皇が退き後継に位を譲った後に上皇(じょうこう)となって、天皇に代わって政務を行う政治のことです。
藤原氏が次第に力を失い、摂関政治が衰え始めたこの時期に、摂関政治にとって代わるように始まった新しいスタイルの政治体制。上皇は「院」と呼ばれていたので、院が行う政治、ということで「院政」と呼ばれるようになりました。
1086年、白河天皇が天皇を退き、まだ幼かった堀河天皇が誕生します。今までなら藤原氏の誰かが摂政になって幅を利かせるところ。しかし白河天皇は上皇となって堀河天皇の代わりに政務を執り行います。これが院政の始まりです。
白河上皇の後、鳥羽上皇、後白河上皇が院政を行い、平安時代末期までのおよそ100年間、院政が続きました。
藤原氏は鬱陶しい存在でしたが、有力貴族ですので排除は得策ではありません。そこで、排除はしないものの摂関政治が台頭しないよう、上皇としてどっかりと天皇のバックに建ち、実権を握ったものと思われます。
平家と源氏:武家政権の誕生と鎌倉幕府の誕生
平安時代というと平清盛をイメージされる方も多いかもしれませんが、400年ほどの歴史の中で、平家が台頭するのは末期のほんのわずかな期間ということになります。
平清盛が生まれたのは1118年。武士の家に生まれ、後白河天皇のそばで力をつけて、武士として初めて太政大臣にまで上り詰めた実力者です。中国(宋王朝)との交易を行って莫大な富を築き、武家社会の基礎を築きます。
朝廷や貴族たちが中央で勢力争いをしているスキに頭角を現した武士のひとりです。
しかし、あまりに権力を持ちすぎて独裁政治に走ってしまったため、周囲から反感を買い、源氏の発起を促す結果となってしまいます。
清盛亡き後、同じく武士の出身の源頼朝率いる源氏が平家を打ち滅ぼし、鎌倉幕府を開くことに。平安時代は終焉を迎えるのです。
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貴族の「権力争い」から「地方の武士」の台頭へ:意外と激しかった平安時代
平安時代は400年という長い時代であったこともあり、改めて調べてみると実に様々な出来事があって、思った以上に激しい時代であったと言えそうです。もっとゆったりと雅なイメージがあったのですが、前半は中央で権力を握るために様々な争いが起こり、地方のことがややおろそかになってしまったがために「武士」という新しい勢力が力をつけてしまったでしょうか。こういう構図は、現代にも通じるものがあるのかもしれません。
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