イタリアヨーロッパの歴史古代ローマ

共和政から帝政へ古代ローマの方針転換を決めた「カエサル」の生涯をわかりやすく解説

英語で皇帝はエンペラー。その語源はラテン語で最高司令官を意味するインペラートルです。ドイツ語やロシア語で皇帝を意味する言葉は「カイザー」。この語源になった人物が今回の主人公であるガイウス=ユリウス=カエサル、英語読みでジュリアス=シーザーです。共和政ローマ末期の政治家で、領土が拡大し限界に達していた元老院体制を打破し帝政への道を開いた人物です。カエサルの生涯を3つの時期に分けてわかりやすく解説します。

若き日のユリウス=カエサル

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カエサルの父は彼と同じ名のガイウス=ユリウス=カエサル。共和政ローマ後期に平民派のリーダーとして活動したマリウスの義弟です。名門に生まれたカエサルですが、内乱の1世紀とよばれた共和政ローマ後期の激動の中で若いころから苦労を重ねます。若き日のカエサルの足跡を追いましょう。

カエサルの出自、父の死

カエサル家はユリウス一門に属する名門貴族の家柄でした。先祖にはローマ最高の官職である執政官(コンスル)を務めた人物もいる家系です。

カエサルが子供のころ、ローマではカエサルの父の義弟マリウス率いる民衆派とスッラ率いる閥族派の権力闘争が激しさを増していました。首都ローマはマリウスの軍とスッラの軍が交互に支配する混乱状態。ローマを制圧したマリウスの死後、カエサルの父もこの世を去り、若くしてカエサルは一族の長となりました。

紀元前83年、カエサルはローマの神々をまつる神祇官に選出されます。同じころ、カエサルは民衆派の政治家キンナの娘であるコルネリアと結婚。一見、順調に出世しているよう見えました。ところが、彼の命運はスッラの帰国によって暗転します。

スッラのリストに名を連ね

マリウスら民衆派がローマを制していたころ、政敵のスッラは小アジアにあったポントス王国との戦争を行っていました。マリウスが死んだことを聞いたスッラは軍を率いて帰国。民衆派の軍を撃破してローマに入城しました。

終身独裁官に就任したスッラはは粛清リストを作成。マリウス派の一掃を図ります。マリウスの血縁で、有力者キンナの娘と結婚していたカエサルも粛清リストに名を連ねてしまいました。命が危うくなったカエサルですが、スッラ派の人々や人々の信仰を集めるウェスタの巫女らがスッラに助命を働きかけます。

スッラはしぶしぶ助命を認めつつも「あの若者の中に多くのマリウスがいる」と語ったとのこと。かくして命拾いしたカエサルはアジア属州やビテュニア王国に滞在しました。やがて、スッラは終身独裁官を辞任し政界を引退します。

執政官ドラペッラの告発と失敗

紀元前78年、スッラの死によりカエサルはローマに帰還することができました。このころ、カエサルは弁論術を磨き不正の疑いがある属州総督を次々と告発します。紀元前77年、当時の政界で大物だった執政官のドラペッラも告発しました。この告発は残念ながら失敗。身の危険を感じたカエサルは地方へと逃れます。

ギリシア付近のエーゲ海を航行していた時、カエサルは海賊につかまりました。海賊たちはカエサルと身代金を引き換えにしようともくろんだのです。この時、カエサルは自らの身代金を釣り上げつつ、「解放されたらお前たちを磔にしてやるぞ」と冗談めいて言い放ちました。

身代金を払い自由を得たカエサルは付近の海軍を招集し海賊を撃破。捕らえた海賊たちを宣言通りに磔にしてしまったといいます。カエサルの行動力を物語るエピソードですね。

着実に積み重ねるキャリア

帰国するとカエサルは順調に出世しキャリアを積み重ねます。紀元前69年、カエサルは財務官に就任しヒスパニア(現在のスペイン)に赴任しました。ヒスパニアでの任務を終えカエサルは元老院の議席を得ます。

そのころ、カエサルはポンペイアと再婚しました。彼女は財産家だったのでその資金を政治活動につぎ込んだようです。紀元前63年、カエサルは富豪のクラッススから多額の資金を借り受けて最高神祇官の選挙に打って出、当選を果たしました。のちの三頭政治の同僚の一人となるクラッススとの関係が密になっていったのもこのころでしょう。

紀元前62年には執政官に次ぐ法務官に当選。翌年にはヒスパニアに総督として赴任しました。こうして多くの感触を歴任した彼は、最高官職である執政官に手が届くところまでキャリアを重ねたのです。

三頭政治とガリア遠征

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順調に重要官職に就任し力をつけたカエサルは、かつて、スッラのもとで活躍し政界の有力者となっていたポンペイウス、クラッススの両人と手を組み執政官への当選を果たします。彼ら三人が手を組んだことはのちに「三頭政治」と称されました。執政官を退任したカエサルは戦功を建てる機会を求め現在のフランスにあたるガリアの属州総督として赴任します。

カエサルの執政官就任

スッラの死後、カエサルは執政官就任の前から民衆派・平民派であることを隠さず、民衆派の英雄マリウスの像を掲げるなどしていました。そのため、閥族派が多い元老院はカエサルに強い警戒心を持っています。

カエサルには元老院に対抗する秘策がありました。それは、海賊退治などで数々の戦功をあげた将軍のポンペイウスと、カエサルの巨額の負債を肩代わりしてくれた富豪のクラッススの二人に自分自身を加えた三人でローマ政治を牛耳ろうという策です。

カエサル・ポンペイウス・クラッススの3人による政治的な同盟を第一回三頭政治とよびました。カエサルは自分の娘であるユリアをポンペイウスに嫁がせて絆を深めます。そして、紀元前59年に行われた執政官選挙でカエサルは見事に当選を果たしました。カエサルは元老院の反発で成立させられなかった農地法や元老院の議事録公開など反元老院的な政策を次々と実現します。

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