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ナイルの賜物「古代エジプト文明」を知るための10のキーワード

「エジプトはナイル川の賜物」とはギリシャの歴史家ヘロドトスの言葉。世界一の大河は洪水や氾濫を繰り返しながらも肥沃な土を下流へ運び、培われた豊かな土壌は2000年以上も続いた高度文明を生み出しました。世界四大文明にも名を連ねるエジプト文明とはどのような文明だったのでしょうか。今なお謎に包まれた神秘の古代文明を知る重要なキーワードを紐解いてまいります。

エジプト文明とは?その全容を知るためのキーワード

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19世紀初頭、ナポレオンのエジプト遠征の際に発見された石版「ロゼッタ・ストーン」から、エジプト文字の解読方法が発見されました。これを機に、遺跡発掘は単なる宝物探しではなく学問として大きな意味を持つようになります。エジプト文明の存在は考古学の歴史を変えたと言っても決して言い過ぎではないでしょう。まずはその全容を知るためのキーワードについて解説します。

世界四大文明

「世界四大文明」とは、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明の4つの古代文明のことです。それぞれナイル川、チグリス/ユーフラテス川、インダス川、黄河という大河の流域で発展し、独自の文化・風習を生み出していきました。いずれも古くから遺跡調査が行われ、1世紀以上に渡って考古学的な研究がなされてきた、誰もが知る古代文明。「文明のゆりかご」と呼ばれることもあります。

中でも最も古い文明とされるのがメソポタミア文明。2つの大河に挟まれた肥沃な大地には、シュメール、ヒッタイトやペルシャ、アッシリアなど数多くの民族の栄枯盛衰を歴史が深く刻まれています。

一方、エジプト文明は、紀元前3000年頃にナイル川流域に興った王朝が、2000年以上もの間脈々と続きました。都の移動やエジプト人同士の王統の交代はあったものの、非常に早い時期に王を中心とした統一国家が誕生。ひとつの民族が長きに渡って文明を継承し続けました。

ナイル川の恵み

ナイル川とは、アフリカ大陸北東部を流れる世界最大級の大河です。水源豊かなヴィクトリア湖から北へおよそ6,650km、ゆったりと大きく蛇行を繰り返しながら地中海へと注ぎます。

ナイル川の上流域の高原地帯は夏場に雨季を迎えるため、水量が極端に増えて氾濫していました。流域の耕作地は毎年ほぼ冠水。自然に抗うことはできず、エジプトの人々が悩まされていたことは容易に想像できますが、ナイルの洪水は豊かな土壌をもたらす役割も担っていたと考えられています。

10月頃になって水が引くと、不毛の砂漠にひととき、ナイル川が上流から運んできた栄養豊富な泥が堆積し、耕作が可能に。この土を利用してエジプトの人々は農業を行っていたと考えられています。ナイルの雨季を知り、氾濫を受け入れることで、古代エジプトの人々は豊かな実りを手にすることができていたのです。

31王朝とプトレマイオス朝

ナイルの豊かな恵みを受け、エジプトには先史時代から多くの人々の暮らしがありました。紀元前5000年頃には既に王朝らしきものがいくつか形成されていましたが、本格的なエジプト王朝の幕開けは紀元前3000年頃。メネス王によって、メンフィスに都を置くエジプト統一王朝が開かれたとされています。

以後、2000年以上続くエジプト王朝。古代エジプト人が残した記録などからいくつかの時代に区分されています。最も栄えたとされる「エジプト古王国時代(だいたい紀元前2500年~2000年頃)」にはたくさんのピラミッドが造られ、農耕や土木の技術も大きく向上しました。

テーベを中心に栄えた「新王国時代(だいたい紀元前1500年~1000年頃)」では数多くの神殿が築かれ、対外進出も盛んになります。領土を広げる一方で、その後の王朝では徐々に他民族からの侵略を受けるように。「末期王朝時代(紀元前750年~305年)」にはペルシャに征服され、ギリシャと手を組み抵抗を見せますが、最終的にはペルシャの支配下に入ります。

その後、マケドニア系(ギリシア人)のプトレマイオスによってエジプト王朝が復活。紀元前30年にローマよって制圧されるまで続きました。

権力の象徴か?今も残る巨大遺跡・建造物

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エジプト文明の素晴らしさは何といっても、当時の建造物を始めとする遺構が数多く残されていることではないでしょうか。どの建造物も巨石を組み上げた巨大なものばかりで、重機のない時代にどうやって築いたのか、現代人の想像力を刺激します。エジプトに今も残る巨大建造物をいくつかご紹介いたしましょう。

ピラミッド

巨大な石を積んで造られた四角錐の建造物・ピラミッド。なぜ、どのようにして築かれたのか、今も多くの謎に包まれています。

最も有名なピラミッドは「ギザの三大ピラミッド」でしょう。3つの大きなピラミッドが連なる様子は、エジプトを代表する風景にもなっています。そのうちのひとつ「クフ王のピラミッド」は、世界最大のピラミッドとしても有名です。

ギザの南方面にあるサッカラには、紀元前2500年前後に造られたとされる古い時代のピラミッドがたくさん残されています。この時代のピラミッドはまっすぐな四角錐ではなく階段状。個性豊かなピラミッドの姿を見ることができます。

スフィンクス

エジプトを代表する建造物としてもうひとつ「スフィンクス」を思い浮かべる人も多いと思います。

スフィンクスとはエジプトやギリシャ、古代オリエントなどの神話に登場する、ライオンの身体と人間の頭を持った怪物。スフィンクスにまつわる神話や伝承は、エジプト以外の地域にも数多く見られます。

エジプトのスフィンクスは、王家を守る神聖な存在として大切にされてきました。王家にまつわる神殿の前に置かれることが多く、日本の神社などで見かける狛犬の原点とも言われています。

最も有名なものはギザの三大ピラミッドのすぐそばにある大スフィンクスでしょう。全長73.5m、高さ20m、幅19m、一枚岩でできた世界最大級の石像。紀元前2500年頃の造られたと考えられていますが、建造の背景など詳しいことはよくわかっていないのだそうです。

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