日本の歴史昭和

どうして起きた?「太平洋戦争」の開戦前から終戦後までをわかりやすく解説

日本が1番最近行った戦争である太平洋戦争。とても大きな戦いで、死者数も多く日本が負けてしまったことは小学校でも習いますが、どうしてそのような戦争が起こってしまったのでしょうか。また、世界で唯一の被爆国である日本が原子爆弾を落とされてしまった理由は何なのか、ということを日清戦争、日露戦争の時代から見ていきましょう。

世界の大国と戦う極東の島国、日本

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明治維新によって近代化した日本は、1894年からはアジアの大国「清」と、1904年からは広大な領土を持つ「ロシア」と戦争を繰り広げました。江戸時代までは鎖国しており、欧米の技術革新に取り残された日本が大国と戦えるまでに成長したのは、世界的に見てもすごいことだと言われています。一般的にはどちらも日本が勝利したと言われていますが、実際はどうだったのでしょうか。太平洋戦争につながるこの2つの戦いを軽く紹介していきます。

大勝した日清戦争と国民の勘違い

朝鮮での農民反乱から起こった日清戦争は、近代化した日本の装備によって各地の戦争で清軍に勝利し、大勝利を収めました。この戦いは、清を眠れる獅子、日本を極東の小国と考えていた列強たちを驚かせました。講和条約である下関条約では日本は領土と莫大な賠償金を得ることができたので、日本の勝利と言えるでしょう。しかし、日本国民はこの戦争で、「戦争に勝てば儲かる」という考えを抱いてしまいます。この考えが後の日露戦争の後の暴動を引き起こすことに…

日露戦争に日本は勝利した?

日清戦争後、ロシアなどの国が日本に日清戦争で得た土地の一部を清に返すよう命令してきました。複数の国と戦えるほどの国力はなかった日本は遼東半島を清に返還しました。いわゆる「三国干渉」です。この時の日本の恨みや、その後起こった義和団の乱をきっかけに南下政策を進めるロシアと日露戦争が勃発します。日本とロシアの国力には10倍ほどの差があり、さすがにロシアが勝つだろうと思われていたこの戦争は、日本軍の巧みな戦いやイギリスの支援もあってギリギリ勝利しました。

しかし、この時日本にも戦争を継続する力も残っておらず、講和会議では領土も賠償金も取ることができませんでした。これを聞いた国民は激怒します。たしかに戦死者も大勢出して国家予算も戦争につぎ込んだのに賠償金を取れなかったら怒りますよね。

調子に乗り大胆な行動をし始める日本

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これらの戦争から太平洋戦争までの間、大国に勝利したという気持ちからか大胆な行動に出ます。この期間の日本の行動が悲惨な太平洋戦争につながったと言えるでしょう。具体的には第一次世界大戦中の動き、安易な日英同盟の破棄、満州事変です。ここからアメリカとの関係がだんだん悪くなっていきます。この時期の日本の行動によっては太平洋戦争を避けることもできたかもしれません。

国際的に孤立しファシズムへ

1914年、ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発します。ただ、日本としては距離が遠すぎるのであまり関わることができません。そこで、仲間だったイギリスの敵国であるドイツの中華民国内の権益を取ることによって協力しようとしますが、そんなことをされてもイギリスが有利になるわけでもないので、日本がただ領土が欲しかっただけと捉えることもできます。また、このとき中華民国に出された二十一か条の要求、これは「要求」という言葉にすることによって日本が横暴なことをしているように見せる中華民国の策略であるという説も…?

1931年には満州事変が勃発。これは関東軍という軍が南満州鉄道の線路を爆発させ、中国軍のせいにして満州を制圧するというものです。これを国際連盟の調査団が調査した結果、日本は満州からの立ち退きを命じられました。これによって日本は国際連盟を脱退し、おかしな方向に進んでいくことになります。

大事な日英同盟を棄ててしまう

1921年にアメリカでワシントン会議というものが開かれました。ここでは主に軍縮、つまり戦艦などの保有数を抑えようということが決められました。しかし大事なのはこのことではなく、会議の中でアメリカは日英同盟の破棄を勧めてきました。その代わりに日本、イギリス、アメリカ、フランスの四カ国条約を結ぼうと提案しました。この時のアメリカは、いずれ日本と戦う時にイギリスの支援があると厄介だと考えたのかもしれません。

日露戦争の時に大活躍したイギリスとの提携。日英同盟が破棄されていなければこの後の戦いも全く違ったものになっていたと思います。

海を挟んだ大戦争、太平洋戦争勃発

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日本は、同じように植民地を多く持たなかったドイツ、イタリアと共に第二次世界大戦(太平洋戦争)を開戦。ドイツはヨーロッパをどんどん侵攻し、連勝していきます。そんな中日本はアメリカと戦っても勝てないと思っていたので戦争を回避しようとギリギリまで頑張っていましたが「ハル・ノート」と呼ばれる、日本がアジア諸国から撤退することを命令した文書がアメリカから届きました。それを受け入れることは難しかったのでここでアメリカと戦うことは避けられなくなります。

開戦したはいいものの…

太平洋戦争と言えば奇襲攻撃で知られる真珠湾攻撃ですが、これは意図して奇襲したというわけではなく、宣戦布告が遅れただけだと言われています。真珠湾を含め、最初はアジアの占領などで調子の良かった日本ですが、1942年のミッドウェー海戦で一気に形勢逆転。ここで空母4隻を失い、さらにその後のガダルカナル島での攻防でも多くの艦隊を失います。ここからアメリカの怒涛の攻撃が続き、日本が持っていた領土をどんどん奪われていきました。

アメリカ軍に圧倒される日本軍

とうとう非常に重要な島、サイパン島が奪われてしまいます。なぜ重要かと言うと、この島からは日本国内に直接空襲を仕掛けることが可能だったからです。ここからアメリカ軍は東京への空襲、沖縄本島での地上戦と日本国内への攻撃が続き、最終的にはご存知の通り長崎と広島に原子爆弾が投下されます。

原子爆弾がこの時期に完成したことは運が悪かったとは思いますが、原子爆弾が完成していなかったら「ダウンフォール作戦」というものが行われていたかもしれません。ダウンフォール作戦とは、化学兵器の使用などによって日本全土を壊滅させるという作戦です。もしかするとこちらの方が原爆を投下されるより被害が甚大になっていたかもしれませんね。

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