- 金本位制とはどんなもの?
- 日本にも金本位制がとられた時期があった
- 金本位制はなぜアメリカしかおこなわなくなったのか?
- 第二次世界大戦によってアメリカ以外の国は焦土と化していた
- 戦場にならなかったアメリカは第二次世界大戦後に空前の好景気に
- アメリカは東西冷戦によって西側のヨーロッパ諸国や日本の経済復興を支えた
- 西側諸国は経済回復してもアメリカに依存した
- アメリカ好景気は終焉した
- なぜ、アメリカの金本位制は維持できなくなったのか?
- 大幅な貿易赤字が継続するによって大量のドルが海外に流れた
- アメリカの金保有残高が減少
- 金の交換レートと金取引市場の価格の乖離がどんどん拡大した
- 多くの国、企業がドルをアメリカの金と交換し、アメリカの金保有残高は底をつく
- アメリカの金本位制の停止によって世界経済は混乱に
- 管理通貨制度への移行もオイルダラーによって為替市場は混乱
- オイルショックが追い打ちをかけた
- オイルダラーが変動為替制度の撹乱要因になった
- 1980年代のアメリカの双子の赤字
- 金本位制のなくなった後でもなおアメリカへの輸出に依存した日本
- 金本位制から解き放たれた経済の行く末
この記事の目次
金本位制とはどんなもの?
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金本位制は簡単にいうと『貨幣を金と同じ価値にすること』をいい、国家がお札を発行するときにはそのお札は金と交換が可能な制度を言っています。すなわち、例えば日本なら持っている円札をいつでも決められた価格で日本銀行などで金に交換してもらえる制度なのです。
もともと、金や銀が、金貨、銀貨として用いられていたのは、金や銀が希少価値があり、物との交換価値があったからです。金や銀はそれ自体に価値があるとみなされていました。
現在では、金は貴金属店で金を買うことはできますが、金の価格は常に変動しています。しかし、金本位制の場合には、それぞれの中央銀行で金の交換レートが決まった貨幣や硬貨が発行されており、いつでもお札を持っていけば、その価格で金と交換してくれたのです。貨幣などのお札や硬貨をお金というのはそのためでした。世界で最初に金本位制を採用したのはイギリスで、そこから世界に広がっていったのです。
金本位制を世界各国で採用していれば、金そのものは共通で、一定の重さの金の延べ棒はそれぞれの国の通貨と交換できます。つまり、金の交換レートによって、各国の通貨(貨幣)の価値は決まっており、為替レートの代わりを果たしていたのです。
日本にも金本位制がとられた時期があった
第二次世界大戦前には、日本でも金本位制がとられた時期がありました。明治維新後には一時的に銀本位制がとられていましたが、1897年に金本位制に移行しています。
その後日本では、第一次世界大戦中の1917年に金輸出を禁止して金本位制は一時離脱していました。しかし、1930年に世界恐慌という大恐慌が吹き荒れる中、当時の浜口内閣によって金輸出の解禁を強行し、金本位制を復活させたのです。やはり最悪の景気の時期に解禁したため、国内景気がさらに悪化し、結果になり、再び中止されました。そのために日本の政党政治は破綻し、軍部の政治介入によって戦争への道に突入していったのです。
そして、それを最後に日本では金本位制への復帰はなく、金本位制に結びついたドルとのキンドル本位制になっているのです(現在は管理通貨制度)。
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金本位制はなぜアメリカしかおこなわなくなったのか?
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第二次世界大戦前には世界各国で金本位制が採用されていましたが、第二次世界大戦後はアメリカ以外の国では採用されていませんでした。その背景を見ていきましょう。
第二次世界大戦によってアメリカ以外の国は焦土と化していた
第二次世界大戦は、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国とアメリカ、独・伊以外のヨーロッパ諸国、中国などの連合国が戦争をおこなったのはご存知でしょう。その戦場は、主にヨーロッパと太平洋周辺になりましたが、アメリカ本土は戦場になりませんでした。
そのため、ヨーロッパや爆撃を受けた日本の都市はほとんどが焦土となり、アメリカ以外の連合国は勝利したものの、生産力が失われ、金などの富もすべてアメリカに集中してしまったのです。各国の中央銀行は金の保有高はほとんどなくなっており、金本位制を復活させることはできませんでした。
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戦場にならなかったアメリカは第二次世界大戦後に空前の好景気に
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さらに、戦争の戦場にならなかったアメリカには、無傷の生産設備がありました。その生産力によって、アメリカは史上空前の好景気を迎えていたのです。戦前の世界恐慌後に経済不振に喘いでいたのが、嘘のような好景気が続きました。
アメリカは東西冷戦によって西側のヨーロッパ諸国や日本の経済復興を支えた
戦後はアメリカが金本位制を実施していたことから、西側諸国の貿易決済などはほとんどがドル決済になりました。ドルが世界通貨となり、金ドル本位制ともいわれていたのです。
そして、アメリカは西側諸国の経済復興の支援をおこなうようになります。すなわち、ヨーロッパなどの西側諸国の商品を意図的に輸入して、各国の経済、生産力の復興への支援をしたのです。日本も、東西冷戦が起こると、アメリカ軍の軍需製品を生産するようになり、とくに朝鮮戦争が起こるとその軍需需要は急拡大し、日本の生産力は急回復し、戦前に近い景気拡大を実現しました。
西側諸国は経済回復してもアメリカに依存した
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その後も、日本やヨーロッパ諸国はアメリカへの輸出によって経済を回復させますが、経済レベルが第二次世界大戦前を上回っても、アメリカへの輸出依存の姿勢は変わりませんでした。経済力が回復することによって日本やヨーロッパ諸国の貨幣価値は上がりました。しかし、それでも、ドルの金兌換レートは一定なため、各国の為替レートも固定されたままになっていたのです。
日本の為替レートも、戦後に365円と決められたレートが続いていました。経済力が上がり、生産設備も近代化されたことによって、戦後1個作るのに365円かかっていたものが、100円で作れるようになっても、その1個を365円で輸出することができたのです。これが、日本の高度経済成長の大きな要因になっていました。
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