独ソ戦はじまる
1941年6月に、ソ連領内へ侵攻したナチス・ドイツ軍でしたが、広い国土や準備不足、そして果敢なソ連軍の反撃に遭って攻勢は頓挫しつつありました。東部戦線あるいは独ソ戦と呼ばれる戦いは、もはや泥沼の様相を呈していたのでした。
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バルバロッサ作戦発動
共産主義国家であるソ連の打倒は、ドイツ総統ヒトラーの宿願でもありました。イギリスを除くヨーロッパのほぼ全域を手中に収めたドイツにとって、国家社会主義に反する共産主義は不倶戴天の敵でしたし、東方へ生存圏を拡大したいドイツ民族にとって、ロシア人(スラブ民族)は、自分たちより劣った民族だという認識が一般的でした。
とはいえソ連は世界でもトップクラスの軍事大国。ソ連侵攻に際しては多くの将軍たちがリスクの大きさを指摘し、ヒトラーに再考を求めました。するとヒトラーはこう答えたそうです。
「なあに、我々がドアを蹴とばせば建物ごと崩れ落ちるさ。」
1941年6月、バルバロッサ作戦が発動され、400万ものドイツを主力とする枢軸国軍が国境を越えました。北・中央・南の三方から一斉に攻め寄せ、ほぼ奇襲という形でソ連軍に襲い掛かったのです。
ドイツ軍は順調に進撃を重ね、ミンスク、スモレンスク、キエフといった大都市を次々に攻略。各地でソ連軍を包囲し、撃破していきました。
いっぽうのソ連軍側はというと、1930年代の大粛清によって多くの有能な将官たちを処刑してしまっており、有効に反撃すらできない有様でした。包囲されかかっても、無駄に死守命令を頻発し、次々と敵の罠に掛かったソ連軍は、数万人単位で降伏を余儀なくされました。キエフ大包囲戦では、なんと60万ものソ連軍が丸ごと降伏すること羽目に陥ったのです。
作戦が発動して以来、わずか数ヶ月でドイツ軍はモスクワの前面まで軍を進めることに。まさにヒトラーが述べた通り、ソ連は崩壊する寸前だと誰の目にも明らかでした。
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モスクワ攻略に失敗したドイツ軍
順調に進撃を続けてきたドイツ軍にも問題がなかったわけではありません。ロシアの国土はあまりに広すぎ、ひとたび雨が降るや道は泥濘と化しました。また鉄道のレールも規格がヨーロッパと全く違っていて、輸送部隊が進むたびに規格変更を余儀なくされました。
そのため前線部隊がせっかく進撃しても、輸送部隊の到着を待たねばならず、各所で進撃は停止してしまいます。また食糧や弾薬が滞るだけではありません。スピードが重要視される進撃に欠かせない戦車などの部品も不足し、あちこちで止まったままの車輛が見受けられるようになりました。
そして決定的となったのは、早すぎる冬の到来「冬将軍」でした。例年になく10月に降雪があり、防寒装備を持たないドイツ軍兵士たちを苦しめました。さらに11月の終わりには気温は零下20度にまで急降下し、エンジンオイルすら凍ってしまう環境下で苦戦を強いられることになりました。
第2装甲軍司令官グデーリアンが述懐していますね。
「凍るような寒さに加え、休養設備の惨めさや冬用衣服の不足、兵員や機材の大きな損害、そして燃料補給の深刻な状態。これらがすべて司令官の任務というものをまったく苦しいものにする。」
やがて12月。モスクワを攻略する糸口すら見つけられない中で、ジューコフ、コーネフらが率いるソ連軍の大反撃を受けることになります。地の利を得ているソ連軍は、ドイツ軍を大きく押し戻し、ソ連打倒どころかモスクワ占領すら夢と終わってしまったのです。
戦略の転換を迫られたドイツ
モスクワを目前にしながら手痛い反撃を食らって後退したドイツ軍でしたが、ソ連軍の戦術が稚拙だったこともあり、何とか踏みとどまりました。
そこでヒトラーは決断します。「雪解けを待って、再び攻勢を開始する!」すでに1941年12月にアメリカに対して宣戦布告を行っていたため、早期にソ連を屈服させる必要があったからです。
しかし冬の間に受けた損害は大きく、全ての戦線にわたって攻勢を開始するだけの余力はありません。いっぽうソ連は軍需工場の大部分をウラル山脈の向こうへ疎開させており、兵器生産に支障をきたすことはありませんでした。
そこで計画されたのが、ソ連南部のカスピ海沿岸(コーカサス)の油田地帯を占領し、敵の資源を奪いつつ長期戦に備えるというものでした。南方軍集団に戦力を集中させることで、限定された戦力を有効に使えると判断されたからです。
こうして夏季攻勢の作戦計画が練られました。作戦名は「青」。所在のソ連軍を撃破しつつ、コーカサスの油田地帯を制圧するという野心的な作戦の決行時期は1942年6月と決まったのです。
ヒトラーに狙われた街スターリングラード
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1942年6月、ドイツの存亡をかけた大作戦が始まります。当初こそ順調な滑り出しを見せるものの、手痛い作戦ミスと補給困難に直面することに。さらに前年とは打って変わったソ連軍の粘り強い反撃に遭うこととなったのです。悲劇の入り口はもうすぐそこにあったのでした。