アメリカの歴史独立後

ニクソンショックによって崩壊した最後の「金本位制」とは?わかりやすく解説

アメリカ好景気は終焉した

しかし、このような貿易体制によってアメリカは常に貿易赤字を出し続け、ドルを流失させることになります。アメリカの好景気は1960年代前半にアメリカンドリームと言われたように最高潮に達しました。でも、アメリカ経済の好調さは終焉を迎えます。

なぜ、アメリカの金本位制は維持できなくなったのか?

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第二次世界大戦後には豊富な金の保有を持っていたアメリカでしたが、ドルの流出が続いた影響で経済の安定が失われ、終戦後26年目についに金兌換を停止してしまったのです。その背景、原因には、アメリカが戦後の東西冷戦のなかで、西側諸国のリーダーとなり、各国を共産主義革命から守るという使命があったといえます。

第一次世界大戦後までのアメリカは、19世紀前半におこなわれたモンロー宣言によって、ヨーロッパ大陸やその国々の植民地には介入しないという外交政策に縛られていました。しかし、第二次世界大戦によってヨーロッパ諸国は壊滅的な被害にあいました。世界を引っ張ってきたイギリスも大きな経済的な打撃を受けたため、アメリカは国内に籠もっていることはできなくなったのです。

大幅な貿易赤字が継続するによって大量のドルが海外に流れた

アメリカは、ヨーロッパの西側諸国をはじめ、日本なども共産主義国に対する防波堤として多くの支援を与え、経済復興に協力することになったのです。その最たるものが為替レートの固定でした。終戦の打撃の中で決められた為替レートは復興をする側にとっては大きな経済的な支援となったのです。それは、アメリカのみが金本位制をとることによって可能でした。

アメリカの金保有残高が減少

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ヨーロッパ諸国や日本などにとっては有利に輸出ができる割安な為替レートは、アメリカにとっては貿易赤字になったドルが金と交換されていくことになったのです。そのため、年を経るごとにあれほどあったアメリカの金の保有残高はどんどん海外に流出していきました。

その背景には、アメリカの発展によって石油需要が高まって行き、原油は輸出から輸入に変わったことがあります。中東戦争によって石油価格が上昇して大量のオイルダラーが中東諸国に流出したのです。中東では、富を金に変える習慣があり、オイルダラーはほとんどがアメリカの金に交換されていました

もう一つの要因は、日本の高度経済成長にありました。日本は、高度経済成長によって工業生産力が大きく発展して、自動車などの工業製品をアメリカに輸出するようになったのです。これも大きな赤字要因になり、金の流出につながりました。

金の交換レートと金取引市場の価格の乖離がどんどん拡大した

しかし、中東などの国の金需要が高まるとともに、民間の金取引市場における金価格は上昇していったのです。もともとアメリカの金兌換レートは1オンス35ドルと決められていたのですが、世界の民間金取引では最終的には金の価格は10倍になっていました。

多くの国、企業がドルをアメリカの金と交換し、アメリカの金保有残高は底をつく

そのため、中東諸国だけでなく、世界ではドルを買ってそれをアメリカの金兌換をして大儲けをしようとする傾向が強くなり、アメリカの金保有高は急激に減少するようになったのです。

結果としてアメリカの金保有高は底をつき、1971年8月に当時のニクソン大統領はついにアメリカの金兌換の停止を発表する事態になりました。これは、世界の貿易市場に大きな打撃を与えることになったのです。

それまでは、ドル決済をしていれば、金と交換できるので、決済に不安はありませんでした。しかし、アメリカが金兌換を停止したことによって、決済を何で行えばよいのか、各国は疑心暗鬼に陥り、世界の貿易は麻痺状態になってしまったのです。

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