アメリカの歴史独立後

ニクソンショックによって崩壊した最後の「金本位制」とは?わかりやすく解説

アメリカの金本位制の停止によって世界経済は混乱に

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アメリカの金本位制の停止は、ドルに依存していた世界経済を大混乱に陥れたのですが、それに対してどのような対応がとられたのでしょうか。さらに、そのあとにも大きなトラブルが待ち受けていたのです。

管理通貨制度への移行もオイルダラーによって為替市場は混乱

アメリカの金兌換が停止されてから、通貨管理を担っていたIMF(国際通貨基金)を中心に世界の貿易を継続させるため、話し合いが持たれました。そして結局管理通貨制度への移行が決められたのです。これまでの固定為替レートは、各国の実力に見合った変動為替レートに移行しました。

これによって、ドル円レートは一気に円高に進み、365円だったドル円レートは300円を切り、すぐに200円までの円高になったのです。それは、いかに日本が恵まれた貿易環境にいたのかを示していました。

しかし、それだけでは済まなかったのです。

オイルショックが追い打ちをかけた

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中東では1973年10月に第4次中東戦争が勃発しました。イスラエルと中東諸国が対立して、戦争が再発したのです。これによって、石油輸出を中東に依存していた世界には石油危機、すなわち、オイルショックが襲いかかります。ニクソンショックから立ち直りかけた世界の経済を再び混乱に引き戻してしまったのです。日本では、多くの主婦がスーパーに押し寄せ、大量の石油を燃やして作られていたトイレットペーパーの購入をおこなったため、多くの店で品切れになりました。そして、トイレットペーパーに限らず、物不足から物価は20%以上の急激なインフレになってしまったことを覚えている方もいるでしょう。

経済活動は低迷し、高度経済成長が始まって以降初めてマイナス成長になるとともに戦後の高度経済成長は終焉を迎えたのです。

オイルダラーが変動為替制度の撹乱要因になった

第4次中東戦争によって、原油価格は高騰し、中東の産油国は戦争には敗れましたが、彼らのもとにはアメリカの金兌換停止前よりも多くのドルが集まるようになったのです。しかし、過去のように獲得したドルをアメリカに金との交換を要求できなくなったため、彼らはドルの運用先が必要になりました。

アメリカが金兌換を停止して管理通貨制度に移行したとはいえ、世界の貿易の決済には依然としてドルが主流となり、国際為替市場はそのドルとの交換レートが決まる場となっていたのです。

中東各国は有り余るドルをこの国際為替市場で運用するようになります。その運用額の大きさによってドルの為替レートは本来のその国の経済政策、金融政策などとは関係なく変動するようになっていったのです。

本来は、中央銀行が金利を上げれば、その国の通貨が買われてドル安になるはずですが、逆にドル高に振れることも多くなりました。これは、今も続いている傾向と言えます。

1980年代のアメリカの双子の赤字

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1980年代に入ると、アメリカの景気は大きく下降局面を迎えます。米国の大企業は変動為替によって、生産コストの安い発展途上国に製造工場を移し、世界一と言われたアメリカの製造業は空洞化現象を起こしてしまったからでした。さらに、日本などの海外から安い品質のよい車などの商品が流入し、貿易赤字は以前として高止まりしていたのです。

そして、民主党政権によって社会保険制度が導入され、ソ連との軍事開発競争によって膨らんだ財政赤字がさらに拡大してしまいます。貿易赤字と財政赤字を合わせて双子の赤字を言われていたのです。さらに、景気低迷のなかで財政赤字が膨らんだため、インフレも生じ、トリレンマとも言われました。

このように、アメリカが金兌換を停止して金本位制から離脱したことによって、世界の経済はその後も大きな困難を経験したといえるでしょう。

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