- 日本の高度経済成長時代とは
- 経済成長を支えていた資金の出所
- 世界に認められた時期
- 高度経済成長は何によって可能になったのか
- 軍事費を最低限に抑えることで経済に資金を回した
- もの作り日本の本領発揮
- 終戦直後のべビーブームによる生産人口の増加
- 年金制度によって国民の不安の払拭
- 高度経済成長の恩恵は何だったのか
- 一億総中流化による消費需要の拡大
- 消費は美徳という神話が生まれた
- 高度経済成長の終焉はどのようにして起こった?
- きっかけは田中角栄の列島改造論
- 終戦後以来のハイパーインフレの出現
- 高度経済成長の息の根を止めた第1次オイルショック
- 節約志向の台頭による消費の低下
- 日本を追い詰めたアメリカの繁栄の終焉_ニクソンショック
- 日本の高度経済成長の示すもの
- 環境が整えば高度経済成長は訪れる
- 高度経済成長は永遠には続かない
- 経済成長を支える人口増加の終焉による成長神話からの脱皮の必要性
- 高度経済成長はもう来ない
この記事の目次
日本の高度経済成長時代とは
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第二次世界大戦に敗れて、国内が廃墟同然となった日本は、戦後連合国軍(主にはアメリカ軍)のGHQの支配下におかれ、経済も崩壊し、戦後復興もままならないままでした。しかし、朝鮮戦争を契機として、その戦争特需によって生産設備や経済は急速に回復したのです。そして日本は、東西冷戦の中で、共産国側に対する防波堤として1952年にはロサンゼルス講和条約が結ばれ、独立国として認められました。同時に日米安全保障条約が結ばれました。
防衛力をアメリカ軍に依存する体制によって、日本自身は経済の回復に注力できるようになり、1955年をスタートとして高い経済成長を実現するようになったのです。それは1973年まで続き、日本を世界第2位の経済大国に押し上げました。その間の経済成長は景気の底を除いては10%を越えていました。この時代のことを高度経済成長時代と言っています。
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経済成長を支えていた資金の出所
この日本の高度経済成長を支えていたのは、当時の高い個人の貯蓄率を背景とした日本銀行や金融機関による企業への資金供給でした。行政サイドは、その金融機関を護送船団方式と言われる方法で後方支援をし、有望な重厚長大産業と言われた大企業に資金融資が行き渡るようにしたのです。それが企業の成長の源泉となりました。
その背景には、やはり防衛費を最小限に押さえられたことで、産業復興に積極的に資金を投入することが可能な国内事情があったのです。
世界に認められた時期
日本は、高度経済成長を続けたことで、その経済力を世界から認められるようになります。1964年には、OECD(経済協力開発機構)への加盟が認められたのです。この年には東京オリンピックも開催し、目実ともに世界の経済大国の仲間入りを実現しました。
高度経済成長は何によって可能になったのか
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日本は、第二次世界大戦で経済が崩壊した西側諸国の中では、経済が傷つかなかったアメリカを除けば、西ドイツとともに脅威の経済復興を実現していました。世界経済で大国として扱われたのはアジアでは日本のみであり、ほかのアジア諸国は発展途上国として苦しんでいたのです。
なぜ日本だけが早期に高度経済成長を実現できたのでしょうか。そのいくつかの要因を見てみることにします。
軍事費を最低限に抑えることで経済に資金を回した
当時の日本は、平和憲法と日米安全保障条約によって自衛隊はあったものの、軍事費という点では最小限に抑えることができました。その分、経済対策費として予算計上して、経済・産業インフラの拡充に勤めたのです。また、日本銀行は、日本人の高い貯蓄率を背景に金融機関から各産業に流すようにバックアップした点が大きいと言えます。
しかも、池田勇人首相は、所得倍増政策を打ち出し、次の佐藤栄作首相も積極的な高度経済成長政策をとり、産業育成によって経済成長とそれに伴う消費の拡大に邁進したのです。すなわち、企業に対する優遇税制などの産業保護政策も取られました。
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