アメリカの歴史独立後

世界中の人々に愛される作家「アーネスト・ヘミングウェイ」の生涯をわかりやすく解説

世界中にファンを持つ、20世紀の作家・小説家の名前を一人挙げるとしたら……?多くの人が、まず「ヘミングウェイ」という名前を思い浮かべるのではないでしょうか。作品はもちろんのこと、作家本人のアクティブなライフスタイルにも注目が集まり、憧れを抱く人も少なくなかったというアーネスト・ヘミングウェイ。この記事ではそんなヘミングウェイに着目し、その生い立ちや人生、作品、名言や格言などについて詳しく解説します。

いつ頃の人?アーネスト・ヘミングウェイの生い立ちとは

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ヘミングウェイは20世紀に活躍したアメリカの小説家。シンプルで簡潔な文体による独特の世界観はその後の多くの作家たちに大きな影響を与え、アメリカ近代文学界をリードする存在となります。行動的で自由な生活を送り、良き時代のアメリカンヒーローとして語られることも多いヘミングウェイ。どんな少年時代を過ごし、いつ頃から作家として有名になったのでしょうか。その生い立ちについて詳しく見ていきましょう。

6人兄弟の長男:豊かな自然に囲まれて育った少年時代

アーネスト・ミラー・ヘミングウェイは1899年7月21日、アメリカ中西部にあるイリノイ州のオークパーク(現在のシカゴ)という町で生まれました。

ひとつ年上の姉と、妹が3人、弟が1人。6人兄弟の長男として、豊かな自然の中で、様々な動物や植物とふれあいながら成長していきました。

父・クラレンスは医師をしており、家庭は裕福だったようです。父親は非常に行動的な人物で、狩猟や釣りをはじめとする、後のヘミングウェイのアウトドアなライフスタイルは、父親の影響が強いと言われています。

母親は若いころ声楽家として活動していたという敬虔なクリスチャン。父親より収入があり経済的に自立していて、支配的な女性だったとも伝わっています。また、どういうわけか男の子を欲しがらず、幼少の頃のヘミングウェイに女の子のような恰好をさせていたとか。そんな母との折り合いは芳しくなく、母子の溝は日に日に深まっていきます。

その反動か、父親との関係は終始良好だったようです。

若くして才能を開花:ジャーナリストと従軍経験

高校時代、ヘミングウェイは学内新聞の記者を勤めるなどしながら、徐々にその才能を開花させていきます。

この頃、文芸雑誌にもいくつか、短編小説や詩を寄稿。積極的に文筆活動を行っていたようです。

1917年、高校を卒業したヘミングウェイは、大学へは進学せず、ミズーリ州カンザスシティの地方紙に記者として就職します。

学校で学ぶより、経験を積み、現場で場数をこなしながら文才を磨く道を選んだのでしょう。この頃からすでに、作家になることを視野に入れていたようです。

しかし、時代はヘミングウェイにもうひとつの選択肢を与えていました。

この当時の時代背景はというと、第一次世界大戦の真っただ中。多くの若者が軍に志願し戦地に赴いていきます。

ヘミングウェイもそうした若者たち同様、軍に志願。1918年、赤十字の運搬車の運転手としてイタリアへ。敵の砲弾を受け、重傷を負って死の恐怖を味わったこともありました。このような戦地での経験は、ヘミングウェイの作品に大きな影響を及ぼしていると考えられています。

ハードボイルド文学の原点とも言われる小説を数多く出版

帰国後、ヘミングウェイは母親との軋轢などから、実家を出て暮らし始めます。

新聞記者として働きながら短編を書き続け、作家としての腕を磨いていたようです。

そして1921年、1度目の結婚。友人の勧めもあり、作家として本格的な活動を開始すべくパリに移住します。

ヘミングウェイはパリを拠点としてヨーロッパ各地を周遊しながら研鑽。1926年には初の長編小説となる『日はまた昇る』を発表し、「失われた世代(ロストジェネレーション:第一次世界大戦の大量犠牲の影響で絶望感や喪失感を負って生きる指針を失った世代、またはその時代に活躍した作家たち)の代表と呼ばれるようになりました。

その後も、短編や長編を数多く出版。大胆不敵で行動的な主人公が登場し、一見暴力的とも思える場面を客観的にクールに描き、物語の世界に読者を引き込んで魅了します。

こうした文体は、ハードボイルド文学の原点と称されることも。その後の文学に大きな影響を及ぼしていきます。

作家として成功をおさめる一方、ヘミングウェイは女性関係も華やかで、妻や子がありながら他の女性と関係を持つこともしばしば。3度の離婚と4人の妻。屈強な肉体を持ち、行動的なヘミングウェイは、彼の作品に登場するアクティブな主人公たちと重なります。彼自身がモテ男だったことは言うまでもありませんが、母親との確執の影響もあるのか、女性の愛に飢えていたのかもしれません。

ノーベル文学賞を受賞するも事故の後遺症に苦しんだ晩年

作家として大きな成功をおさめたヘミングウェイ。

しかし、1928年に愛する父が自殺。母との溝は深まる一方であり、複雑な思いを抱え続けていたと考えられています。

そんな心の闇を隠すかのように、ヘミングウェイの私生活は常にエネルギッシュでアクティブでした。大自然の中で釣りや狩りを楽しみ、より広い世界を求めてアフリカへ旅立つこともあったそうです。

小説の登場人物たち同様、ワイルドで奔放、行動的な彼自身の私生活にも多くの注目が集まります。ヘミングウェイの作品を愛読する人々は、彼のことを親しみを込めて「パパ・ヘミングウェイ」と呼んでいました。

第二次世界大戦が始まり、再び世界が恐怖に見舞われると、自ら戦地へ出向き、前線の取材を行ったり、戦闘に参加することもあったのだそうです。

2度の戦争で心と体に受けた傷、家族や近しい人たちとの出会いや別れ、そして年齢とともに訪れる自らの肉体の衰え……。そんな中、ヘミングウェイは新たなヒーロー像を描きます。

戦争も博打も酒も女も出てこない、なんの変哲もない老人と巨大魚との孤独な闘い。1952年に出版された『老人と海』。文学史に名を刻む名作です。

この作品により、ヘミングウェイは1954年、ノーベル文学賞を受賞します。

しかし、同じ年に遭遇した飛行機事故による怪我のため、授賞式は欠席。その後も、後遺症や心の病などに見舞われ、執筆もままならない日々が続きました。

1961年7月、まもなく62歳の誕生日を迎えようというある日、ヘミングウェイはアイダホ州の自宅にて猟銃を手に自らの命を絶ってしまうのです。

ヘミングウェイの人柄を知る名言・格言

多くの作品を残しながら、衝撃的な最期を遂げたヘミングウェイ。20世紀の文学界に多大な影響を及ぼした人気作家ということもあり、人々の心に残る名言・格言をたくさん残しています。

常に行動し続け、戦争という魔物と向き合うことも厭わなかった彼だからこそ、残すことができた言葉も多いはずです。

以下に、ヘミングウェイが残したたくさんの名言・格言の中のごくごく一部ではありますが、心に響くものをいくつかご紹介いたします。

The world is a fine place and worth the fighting for.(この世は素晴らしい。戦う価値がある。)

Courage is grace under pressure.(勇気とは、窮地に陥ったときにみせる、気品のことである。)

The best way to find out if you can trust somebody is to trust them.(誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ。)

You can’t get away from yourself by moving from one place to another.(あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。)

What is moral is what you feel good after and what is immoral is what you feel bad after.(善とは何か。後味の良いことだ。悪とは何か。後味の悪いことだ。)

Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is.(今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。)

Every day is a new day.(とにかく、毎日が新しい日なんだ。)

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