スコラ哲学って何?理詰めで神と信仰の正体を探った学問の挑戦、そして限界とは
スコラ哲学ってどんな学問?そのスタイルの特徴とは
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スコラ哲学が台頭したのは11世紀から16世紀ごろ。その間にはあの有名な十字軍やカノッサの屈辱があり、対立教皇の存在によりヨーロッパが分裂してカオスになり、歴史における最高の芸術運動であったルネサンスが興隆しそして終焉し……。つまり教皇庁の権威が失墜する宗教改革までのカトリック全盛期だったヨーロッパにおいて、インテリジェンスたちが知能と書物の知識を戦わせた結果、育まれた学問のスタイルです。「スコラ」は英語の「School(学校)」と同源語。学び舎では何が行われていたのでしょうか?
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スコラ哲学、ことばと知恵を尊ぶ「学び方」
学問のスタイルであるスコラ哲学。思考の過程や学び方、学問の技法の「スタイル」によってくくってスコラ哲学、スコラ神学と呼ばれます。この学問の最大のテーマは「信仰と理性」。矛盾するこのテーマですが、まさに「矛盾の解決」がスコラ哲学の究極目標でした。スコラ哲学が発展させた分野が2つあります。「クエスティオネス(質疑)」そして「スンマ(大全)」です。クエスティオネスでは「なぜ人を殺してはいけないのか」というような質問が出され、それに対して過去のあらゆる著作を引っ張り出して賛成意見と反対意見が集められます。スンマは、キリスト教におけるすべての回答が用意された究極の信仰に対する疑問の根拠。トマス・アクィナスの『神学大全』が有名です。
スコラ学の学校での勉強法は2つ。1つ目はまず「レクツィオ(読解)」。教師がテキストを読みながら思想や用語を解説します。この時はずっと教師しか話しません。生徒たちは疑問を示すことは許されず、問答無用で教師の言葉を受け容れることが求められます。もう1つは「ディスプタツィオ(討議)」です。これには2つの形があります。「通常討議」は前もって質問が示されているもの。
一方「クォドリベタル(自由討議)」は、生徒から教師へ質問のお題が出されるものです。生徒がする質問、たとえば「生活のために金持ちのものを盗んでもいいものですか」というようなことに対し、教師は聖書や文献など権威あるテキストから引用を重ねて回答。討議の時間は生徒もいっぱい先生に質問や疑問をぶつけることが許されるため、脱線しながらもすさまじい議論が繰り広げられます。これらの議論は筆記者により記録がとられ、教師は筆記録を読み返して翌日の授業でその議論を要約、すべての反論に回答、そして自らの最終的な立場を答えるのです。こんな伝統を持つ西洋の人びとが議論が達者なのは当たり前なのかもしれませんね。
スコラ哲学の基礎テキストって?
スコラ哲学で用いられた基本のテキストを紹介しましょう。まず聖書。これは言うまでもありませんね。その次に巨大な位置を占めていたのがアリストテレスの著作。古代ギリシャの大哲学者です。この人が哲学に対して果たした役割は大きく、哲学から科学そして政治学や詩学さらに心理学など、あまりにも広範囲をカバーしてそれを体系立てたとして「西洋最大の哲学者」「万学の祖」とも呼ばれます。哲学「フィロソフィア(知を愛する)」という言葉を作ったのもこの人です。スコラ哲学で単に「哲学者」と言ったら、イコールアリストテレスのことを指します。
次にムスリムの学者アヴェロエス、本名をイブン・ルシュド。えっキリスト教徒じゃないのに?彼の著作がキリスト教社会で扱われている理由は、アヴェロエスの著したアリストテレスの注釈書が非常に優れているから。スコラ哲学はアリストテレス哲学の発展型のため、アヴェロエスの書物『注解』がどうしても必要だったのです。さらに『哲学の慰め』を書いた古代ローマの政治家にして哲学者ボエティウス。イデア論で有名なアリストテレスの師であるプラトン。古代ローマ時代に初期キリスト教教会の確立に貢献し『神の国』を書いたアウグスティヌス。そして『命題集』の著者で12世紀のキリスト教教会の司教ペトルス・ロンバルドゥス。
ピックアップするとこの中でキリスト教徒なのはアウグスティヌスとペトルス・ロンバルドゥスの2人だけで、重要な位置を占める著作の著者が異教徒というのが不思議ですが、哲学や学問の体系はほとんど古代ギリシャ・ローマ時代にできていたのだから仕方ありません。異教徒やキリスト誕生以前の古代の知恵知識をどのようにとらえるかで、一神教のキリスト教を信仰しそれ以外の神の存在は否定しなければならない聖職者たちには、壮絶な葛藤がありました。
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