ヨーロッパの歴史

スコラ哲学って何?理詰めで神と信仰の正体を探った学問の挑戦、そして限界とは

スコラ哲学を代表するスゴイ学者5選

スコラ哲学は机上の学問であるがゆえに、非常に緻密な思考による理詰めの学問が発展しました。あふれる教養と冷静な思考、そして情熱がなければここまでの知識の進歩は見込めません。その中でもとてつもなくスゴイを学者たちを選んでご紹介しましょう。さて、彼らは理性と信仰の、そして神の存在の矛盾をはたして解消できたのでしょうか。

スコラ哲学初期!カンタベリーのアンセルムス、ビエール・アベラール

カンタベリーのアンセルムス。聖アンセルムス司教教会博士とも呼ばれ、カトリック教会で聖人として認定されている偉人です。神という概念は究極的には感覚的なもの。これを学術的、理論的に突き詰め、神の本体論的(存在論的)存在証明を成し遂げた人物です。大胆ですね。この議論は頭が痛くなるほどややこしいので端的に言ってしまうと、中世以前は「何が何でも神はいるんだ!」と無批判に信じていた神を、理性において批判した上で信じるという学問をやりとげたのです。

アンセルムスは政治的にも大きな役割を果たした人物でした。ローマ教皇と神聖ローマ皇帝、どちらに司教・修道院院長など高位聖職者の任命権があるかで大モメに揉めた「叙任権闘争」の渦中で権力者たちの間で奔走したのです。このような複雑な政治事情は、必然的に議論による解決を必要としたのですが、スコラ哲学の発展には弁説によって戦う必要があった時代の背景も関係しているのかもしれません。

ピエール・アベラール「唯名論」学派の創始者として名高い人物。というより彼の名前を聞いて大半の人はそちらではなく、アルジャントゥイユのエロイーズとのロマンスを思い浮かべるのでは?後に大修道院長ともなった修道女エロイーズちゃんとの間に恋を繰り広げたがために、エロイーズの親類に襲撃され男性局部を切除されたというエピソードも持ちます。その後もすさまじくエロい手紙をやりとり。これは文学的価値が高い名文として残っています。それはともかくアベラールの「唯名論」は「実在論」と同時に中世スコラ哲学に一大ムーブメントを巻き起こし、普遍論争を発展させました。

スコラ哲学最盛期の巨人・トマス・アクィナスと『神学大全』

13世紀から14世紀、スコラ哲学は最盛期に!この頃に登場した「神の使いのような博士」「スコラ哲学の父」とも呼ばれる巨人がいます。トマス・アクィナスです。『神学大全』の著作名とセットで教科書で名前を見た人もいるのではないでしょうか。『神学大全(スンマ・セオロジカ)』はスコラ哲学の成し遂げた、理詰めの神学の最高峰だったわけですが、このいかにも難しそうな本をトマス・アクィナスは「キリスト教初心者向け」として書きました。

この『大全』ないしトマス・アクィナスの神学の背景には、十字軍によりアラブ世界との交流が生まれたことがあります。異文化の交流は思想の対決を呼ぶものです。この時代の聖職者たちは必然的にユダヤ教やイスラム教の聖職者たちとも論争をする機会がありました。そもそもキリスト教世界のものではないアリストテレス哲学をキリスト教に融和させるという大事業を成し遂げたのが、トマス・アクィナスです。キリスト教徒でなくても読んで納得、なるほど神様はいるんだなと説得されるような内容なんですよ。

ちなみにトマス・アクィナス自身はこの『神学大全』のすべてを書き上げてはいません。第3部のクライマックス「秘跡」の項目まで来たところで、ミサを捧げている最中に急な心理的変化が起こったのです。何らかの神の啓示を受けたとも言われていますが……ともあれ終盤はトマス・アクィナスの弟子たちが師の構想を受け継いで書き上げて現在の形となっています。なぜこの時トマス・アクィナスが筆を止めたかの理由はまさに「神のみぞ知る」です。ちなみにトマス・アクィナスによって「哲学は神学のはしため(奴隷女のこと)」と呼ばれたために、哲学や自然科学は一段下の物だと認識されたりといったエピソードもあります。

教会が迫害したスコラ哲学時代の科学者。ロジャー・ベーコン、オッカムのウィリアム

スコラ哲学の学者というと本ばっかり読んでことばの綾で相手を論破する、というようなイメージになってしまいがちです。が、それをくつがえす存在がいます。ロジャー・ベーコンです。実験観察を重視し、書物の世界ではなく経験知による真理探求をした革命的な学者でした。ラテン語の文献で勉強していた聖職者たちでしたが、それじゃ誤訳が多すぎる!ヘブライ語やギリシア語できちんと原文を読むんだ!と提唱した人物でもあります。彼の学問には当時科学的に先進国であったアラブ世界の著作、いわゆるイスラム科学が多く投影されていました。ベーコンのような思考や方法をとる人は本当に珍しかった中世の西洋。ロジャー・ベーコンは近代科学の父とも呼ばれています。しかし晩年は10年にも渡り幽閉され、その思想は弾圧を受けました。

スコラ哲学後期に登場するのが、オッカムのウィリアムです。『オッカムの剃刀』という言葉を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。

必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。

思考節約の原理、ケチの原理とも呼ばれるこの方法は、物事を考え真理を追求するにあたり絶大な効果を発揮しました。

ちなみにオッカムのウィリアムの「オッカム」は出身地であるイングランドのオッカム村のこと。彼は教会の主流派閥に逆らったこともあって、異端審問に突き出されて破門までされました。そんな彼の信念は「神の道は理性に開かれていない」「信仰によってのみ真理にたどり着ける」というもの。理詰めで神の道を追求してきたスコラ学の世界ですから、そりゃ彼の考えは面白くないでしょうね。世界の素晴らしさは科学によって示され、その美しさこそが神の証明である、という見解を示していました。なんて先進的!オッカムのウィリアムはそれまでのスコラ哲学者・スコラ神学者たちの認識をちゃぶ台返しのようにひっくり返して、ペストで世を去りました。

スコラ哲学への反論

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ここまででお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。基本的にスコラ哲学は本の世界に閉じこもって議論するだけの、机上の空論におちいる危険性があるのです。後世の人文主義者たちはこれに対して大批判!「スコラ哲学は頭でっかちで権威主義」というイメージが現在も広く根付いています。過去の叡智を愛し、矛盾を解決しようとするスコラ学の学者たちに対し、どのような反論がなされたのでしょうか。

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