ヨーロッパの歴史

スコラ哲学って何?理詰めで神と信仰の正体を探った学問の挑戦、そして限界とは

我思う故に我あり……ルネ・デカルトのもたらした自然の光

真理を探究するために手段は選んでいられない!だんだん人間は過去の書物に頼ることに限界を感じ、神の存在を感じるために現実の世界に眼を向けていきました。やり方や立場身分、聖俗問わず、人間は常に真理を求めます。その方法が科学であれ神学であれ、キリスト教世界だろうと異教の社会の知恵だろうと、書物の知識だろうと経験による知恵だろうと……。スコラ学という学問のプロセスそのものに限界がついに生じたのです。

16世紀から17世紀にかけて活躍したフランスのルネ・デカルトは「我思う故に我あり」というあの言葉で有名ですね。スコラ哲学はなんだかんだで「神」と「信仰」から離れて思考することができないスタイルでした。その神や信仰というエッセンスを取り除いて、「自然の光(人間の理性)」で真理を探求しようという近代哲学の方針を決めた人物です。デカルトは『方法序説』で、手当り次第に学んだ自分の学問の遍歴を明かしたあと、語学・神学・詩学・法学など、文学の学問は全然役に立たないからやめた!と告白しています。彼はあくまでも数学的・幾何学的な思考法によって学問を探究しようとつとめました。

『方法序説』冒頭の「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」という言葉は、思想における人権宣言とも言われています。ちなみに『方法序説』は当時国際語だったラテン語ではなく、女性も子供もみんな読めるように母国語のフランス語で書かれているんですよ。『方法序説』の理念「明晰かつ判明」はフランス文学にも強い影響を与え、フランス文学の理想の文章の形もまた「明晰かつ判明」を指標としています。すごい本だったんですね。

スコラ哲学を否定した先の進歩。ジョン・ロックそしてガリレオ・ガリレイ

17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックは、哲学史のみならず人類の歴史に大きな影響を与えました。彼の現実主義的な思想は、社会契約や政教分離という考え方を生み出し、現代社会の私たちを守る人権宣言につながっていきます。ここから三権分立や政教分離の原則などが生まれたのです。すごい人ですね。

スコラ哲学的な学問スタイルを痛烈に批判したのが『人間知性論(人間悟性論)』です。ジョン・ロックはこの20年をかけた力作の中で、「知識」そのものが不確かなものであると、過去の知識に強く依存するスコラ哲学の根っことなる部分をバッサリ否定。白紙(タブラ・ラサ)状態の心に経験が1つ1つ記していくという「経験論」を唱えたジョン・ロックはイギリス経験論の父と呼ばれ、哲学史で非常に重要な位置を占めています。

そしてスコラ哲学、カトリック教会の犠牲者として著名なのが、あのガリレオ・ガリレイです。天文学の父と呼ばれ、地動説を提唱した科学者。これが異端宣告を受けて彼は有罪、すべての役職を剥奪され無期刑を受けたのです(後に減刑)。ガリレオ・ガリレイはじめ科学者たちに対する頑迷固陋な教会の処遇が、スコラ哲学のイメージがすごく悪い原因の1つかもしれません。新しい視点から真理を見つけた人間を迫害し、それまでの権威的書物の世界にのみ固執する。それは正しい学問の形とは言えません。スコラ哲学は近代哲学や科学的手法の発達と同時に衰退し、その後は自然科学の世界となっていくのです。

本の世界で神の道を理詰めで追求した、スコラ哲学者たち

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スコラ哲学のベースにあるのは、過去の知恵に対する圧倒的なリスペクト。とにかく理屈っぽくて細かいところまで詰めていく西洋哲学ですが、スコラ学者たちの原動力は、神の言葉である聖書と尊敬すべき古代ギリシャ時代のアリストテレス哲学との間の矛盾を解消することでした。結局、真理や知恵を求める方法論は実験や観察を重んじる科学に道を譲ることになります。ちなみにこの雰囲気を知るためには、スコラ哲学と普遍論争の時代の修道院を舞台としたミステリー、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』がおすすめ。NHKでも紹介された名著ですよ。

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