- 古代から中世:ゲルマン民族とフランク王国の建国
- ゲルマン民族とは?ローマ帝国時代のヨーロッパ
- ヨーロッパの大半を占めたフランク王国が3つに分裂
- 東フランク王国から神聖ローマ帝国へ
- 閑話休題:「ドイツ」とはオランダ語?
- 近世から近代:度重なる戦争とナポレオンの侵略
- マルティン・ルターの「宗教改革」とは
- ヨーロッパ全域に影響を与えた「三十年戦争」
- プロイセン王国の成立と神聖ローマ帝国解体
- 20世紀以降:2度の世界大戦と東西ドイツ
- 第一次世界大戦とてヴェルサイユ条約
- ヒットラー首相の誕生と第二次世界大戦
- 東西分裂から統一までの道のり
- 盤根錯節・紆余曲折……ドイツの歴史はヨーロッパ戦乱の歴史だった
この記事の目次
古代から中世:ゲルマン民族とフランク王国の建国
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まずは太古の時代からスタート。ヨーロッパ大陸には先史時代から多くの人々の暮らしがあったと考えられていますが、ドイツの源流はどこから来たのでしょうか。駆け足になりますが、中世時代までのおよそ1000年間の中で起きた重要な出来事をいくつかご紹介します。
ゲルマン民族とは?ローマ帝国時代のヨーロッパ
紀元前2000年頃、現在のドイツ、フランス、オーストリアなどヨーロッパ中部の地域には、広範囲に渡って青銅器文化や鉄器文化が栄えていました。
その地域に住んでいた人々がいくつかの民族に分かれ、異なる文化圏を形成。そのうちのひとつが、ゲルマン人と呼ばれる民族であると考えられています。
ゲルマンとは、ギリシアの歴史家たちの文献の中にしばしば登場する言葉で、いつ頃からそのような呼ばれ方をしていたのか、詳しいことはわかっていません。しかしおそらく、ドイツの英語名「German」と深いかかわりがあるものと考えられています。
このゲルマン人たちが、4世紀後半、異民族が侵攻してきたことなどが理由で、大移動を始めます(ゲルマン民族の大移動)。
大移動がある程度落ち着くと、ゲルマン人たちはそれぞれたどり着いた土地で国を形成。そのうちのひとつがフランク族と呼ばれる民族です。
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ヨーロッパの大半を占めたフランク王国が3つに分裂
481年、フランク族のクロヴィスなる人物がフランク族を統一し、フランク王国を建国します。
フランク王国は数百年の間、周辺の多民族を取り込み、ローマ・カトリックにも大きな影響力を及ぼしながら勢力を拡大。800年には、当時のフランク国王・カール大帝が西ローマ皇帝に即位し、ヨーロッパの大半を治めるまでになりました。
カール大帝の息子・ルートヴィヒ1世の頃、大国にありがちな「内部紛争」が起きるようになります。
そしてルートヴィヒ1世の死後、843年、フランク王国は3人の息子たちにそれぞれ分割されることになるのです(東フランク王国・西フランク王国・中フランク王国)。このうちの東フランク王国が、現在のドイツの原型となります。
余談ですが、西フランク王国はフランスの原型、中フランク王国がイタリアへと発展。フランク王国の分裂が、現在のヨーロッパの基礎を作ったと言ってもよいのかもしれません。
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東フランク王国から神聖ローマ帝国へ
東フランク王国の王たちは、異民族の侵攻を食い止めるため戦ったり、国のためによく働きました。
その成果もあって、東フランク王国はヨーロッパのリーダー的存在となります。
962年、様々な功績が認められ、オットー1世がローマ皇帝に即位。この後の東フランク王国のことを「神聖ローマ帝国」といいます。
この頃、「ローマ皇帝」と「ローマ教皇」という、国家と教会のトップ同士の権力争いやゴタゴタが目立つようになっていました。
1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世がローマ教皇グレゴリウス7世に謝罪する(カノッサの屈辱)という出来事が発生。皇帝の威光が弱まり、国内の各地域を治める領主たちが力をつけるきっかけに。
日本でいうところの「応仁の乱が起きたりして室町幕府の力が弱まった頃、地方の守護代たちが力をつけ始め、戦国時代へつながっていった」時代と様子が似ているかもしれません。
領邦国家体制と呼ばれる体制は、この頃に芽生えたものと考えらえています。
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閑話休題:「ドイツ」とはオランダ語?
ところで、なぜ日本では「ドイツ」と呼ぶのでしょう。
ドイツの英語表記は「Germany(ジャーマニー)」ですよね。「ジャーマンポテト」とか「ジャーマンスープレックス」とかいう単語もありますが、海外の人たちは「ドイツ」という呼び方は使っていないのでしょうか。
ドイツの国名は、本家本元ドイツ語ではDeutschland(ドイチュラント)といいます。オランダ語ではDuits(ダウツ)です。
日本で「ドイツ」という呼び方が定着しているのは、おそらく、本家本元のドイツ語の発音か、オランダ語のDuitsのいずれかから(あるいは両方)きているのではないか、と考えられています。
漢字では「独逸」。日本人なら、漢字1文字「独」と書くだけで、ドイツのことを表していることがわかるはずです。
その昔、鎖国時代の日本には、西洋の情報はオランダからもたらされていました。オランダ語やポルトガル語由来の外来語はほかにもたくさんあります。ドイツの呼び方も「ジャーマニー」ではなく「ドイツ」のほうが定着しやすかったのかもしれません。
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