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モンゴル帝国と元の建国者「フビライ(クビライ)」を元予備校講師がわかりやすく解説

世界史の中で、一世を風靡した国家が登場すると、その国家や民族、集団の名をとって~の時代と表現することがあります。ローマが強い時代はパックス=ロマーナ、大英帝国が強い時代はパックス=ブリタニカなどといいますね。13世紀最強の国はモンゴル帝国。ですから、13世紀はモンゴルの世紀、パックス=タタリカと表現することもできるでしょう。今回は、モンゴル帝国の第四代大ハーンで、元の初代皇帝となりパックス=タタリカの一翼を担ったフビライ(クビライ)について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

モンゴル帝国の成立と歴代の大ハーンたち

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モンゴル帝国の土台を築いたのは初代大ハーンのチンギス・ハーンです。チンギスは、それまで分裂状態にあったモンゴル高原を統一し、周辺諸国の制覇に乗り出しました。チンギスの死後、大ハーンの位は3男のオゴタイに引き継がれます。オゴタイは中国の北半分を支配した金王朝を滅ぼしました。オゴタイ死後も、グユク、モンケは征服活動を継続します。

チンギス・ハーンによるモンゴル統一と周辺諸国制覇

1162年、モンゴル族の族長の子としてテムジンは生まれました。テムジンは幼いころに父であるイェスゲイを失います。族長が死に弱体化したモンゴル族は離散してしまいました。テムジンは母であるホエルンに育てられながら、周辺諸部族との戦いに明け暮れます。

テムジンは強敵であるタタルやメルキトなどの諸部族との戦いに勝利。義兄弟であるジャムカとの決戦や高原最強の部族であるケレイトにも勝利して1204年にモンゴル高原を統一しました。

1206年、テムジンはモンゴル諸部族の長が集まる部族長会議(クリルタイ)大ハーン(カン)に即位。以後、チンギス・ハーンと名乗ります。

チンギスは、1211年から14年にかけて、宿敵ともいえる華北の金と戦って勝利。西方のウイグルを服属させ、中央アジアのイスラム教の強国であるホラズムを事実上滅ぼしました。チンギスは1227年に西夏に遠征。遠征中に亡くなります。

オゴタイ・ハーン時代の金の征服とバトゥの西征

1229年、チンギスの死を受けてモンゴル高原でクリルタイが開かれました。そこで大ハーンに選ばれたのがチンギスの3男であるオゴタイ(オゴデイ)です。オゴタイが攻撃目標としたのは華北に本拠を置く金王朝でした。

金は、もともと中国東北部に住む女真族が建てた王朝です。金はモンゴル高原の諸部族を互いに争わせることで、モンゴル統一を阻んできた国でした。1232年から1234年にかけて、オゴタイの弟であるトゥルイは金を攻め滅ぼします

また、オゴタイは長兄ジュチの子であるバトゥに西方遠征を命じます。バトゥの軍はキプチャク人を自軍に加えキエフ公国を滅ぼしてロシアを征服。1241年にポーランド・ドイツ連合軍をワールシュタットの戦いで撃破しました。1242年、オゴタイが死去したことでバトゥは軍を東へ返します。

グユク・ハーンとモンケ・ハーンによる領土拡大

オゴタイの死後、大ハーンに選出されたのは、オゴタイの子であるグユクでした。グユクの時代、南宋やイラン、高麗などに出兵します。しかし、グユクはわずか2年の在位の後、死去してしまいました。

1251年、トゥルイの子であるモンケが第4代大ハーンに即位します。モンケは対立するオゴタイやチャガタイの子を処刑・追放することで権力を握りました。

オゴタイは自分の弟であるフビライ(クビライ)に中国南東部の大理を、もう一人の弟であるフラグに西アジアを攻撃させます。フビライは大理を征服。フラグはバグダードを占領し、アッバース朝を完全に滅ぼしました。

1259年、モンケは、中国南部で余命を保っていた南宋を攻め滅ぼすべく自ら軍を率いて南下します。しかし、戦いの途中に四川で亡くなりました。

大ハーンの位をめぐる一族間の争い

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モンケの死の急死を知ったフビライは単独でクリルタイを強行開催し、大ハーンの位につきます。これに反発したのが末弟のアリクブカでした。フビライとアリクブカの戦いは4年にわたって続きます。勝利したのはフビライでした。フビライの即位に反発したのはアリクブカだけではありません。オゴタイの孫にあたるハイドゥもフビライに反発。中央アジアで挙兵し、フビライの軍と戦いました。

“蒼き狼”の血筋によるユーラシア大陸の制覇

伝説によると、モンゴル族の祖先は「蒼き狼」と「白き牝鹿」の末裔だとされました。モンゴルの歴史書である『元朝秘史』の冒頭は「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき」で始まります。そのため、チンギス・ハーンは「蒼き狼」の末裔であり、彼の子孫もまた、蒼き狼の血族だと考えられました。

チンギス・ハーンの長子ジュチの子であるバトゥは西方遠征で獲得したロシア方面を支配するキプチャク=ハン国を建てます。次兄のチャガタイは中央アジアでチャガタイ=ハン国を建てました。フビライの弟で、イスラム世界に領土を広げたフラグイル=ハン国を創始しました。

チンギス・ハーンの子孫たちは、世界各地を征服。「蒼き狼」の血族は草原だけではなく、ユーラシア大陸の覇者となりました。

末弟アリクブカとの戦い

1259年、モンケ・ハーンが南宋遠征中に急死しました。通常、大ハーンが死去すると帝国の有力者たちが集まってクリルタイを開き、次の大ハーンを選出します。しかし、この時はモンケの弟であるフビライが全員揃う前にクリルタイを強行開催し、大ハーンの位に登りました。

フビライの即位に反対したのが、フビライやフラグの弟であるアリクブカでした。オゴタイが作った都であるモンゴル高原のカラコルムにいたアリクブカは、フビライの即位を認めず、カラコルムでクリルタイを開催し、大ハーン即位を宣言します。

フビライとアリクブカとの戦いは4年にわたって続きましたが、1264年にアリクブカが投稿。最終的にはフビライの勝利に終わりました。

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