教養歴史

ヨーロッパ人に海賊として恐れられた「ノルマン人」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

現代の北ヨーロッパにあたる地域にはノルマン人とよばれる人々が住んでいました。9世紀から11世紀にかけて、ヴァイキングともよばれたノルマン人たちは故郷を離れ、ヨーロッパ各地や遠く北アメリカ大陸まで進出。各地でノルマン人の国を作りました。今回は、ノルマン人の大移動とノルマン人が各地に建てた国などについて、元予備校講師がわかりやすく解説します。

ノルマン人のルーツ

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ノルマン人、または、ヴァイキングはいったいどのような人々だったのでしょうか。スカンディナヴィア半島に住み、海に精通したノルマン人たちは、独特のヴァイキング船を操りヨーロッパ人と交易を行います。ノルマン人たちの伝承である『サガ(サーガ)』は、実際に起きた出来事を題材とした物語。そのため、私たちは『サガ』を通じてノルマン人たちの歴史を知ることが出来ます。

 

ノルマン人とはいったいどのような人々か

ノルマン人は、ヨーロッパに広く居住していたゲルマン人の一派です。原住地はスカンディナヴィア半島からバルト海、ユトランド半島にかけての地域でした。ノルマン人という呼び方自体が、「北に住む人々」という意味なんです。海に面した地域に住むノルマン人たちは狩猟や漁労によって生計をたてました。

東西のローマ帝国が弱体化した4世紀、ゲルマン人たちは大挙してローマ領になだれ込みます。いわゆる、ゲルマン民族の大移動ですね。西ローマ帝国はゲルマン人の圧力に耐え切れず滅亡しました。

ゲルマン民族が大移動を行っていたとき、ノルマン人たちは目立った動きを見せません。彼らが本格的に動き出したのは9世紀のころ。操船能力に長けたノルマン人たちは、ヨーロッパの沿岸部を襲撃し、略奪をおこないます。ヨーロッパの人々は彼らをノルマン人ともヴァイキングともよびました。

ノルマン人の足となったヴァイキング船

ヴァイキングという言葉は、海賊の代名詞として現代に伝わっています。それほどまでに強いインパクトを残したヴァイキングとは、どのような人々だったのでしょうか。その秘密をとく鍵は、彼らが用いた船(ヴァイキング船)にあります。

ヴァイキングの船は大きく3つに分類可能。一つ目は帆が無く、オールの実を推進力とする小型船(フェーリング)。二つ目は、外洋航海と貨物輸送を行う輸送船(クナール)。三つ目は、貿易や戦闘など幅広い用途で用いられた海軍船(ロングシップ)。私たちのイメージするヴァイキング船はロングシップのことです。

ロングシップの特徴は、軽量であること、高速であること、喫水線が浅いことの三つ。海戦において高い機動力を持っていることは、勝利のための重要な条件でした。また、喫水線が浅いと、水深が浅い場所(浅瀬や河川)にも積極的に進出できます。

ヴァイキングは沿岸だけではなく、河川をさかのぼった内陸にも攻め込むことが出来る厄介な海賊だったのです。

ノルマン人の伝承『サガ』

ノルマン人が後世に語り継いだ『サガ』も重要な史料ですね。『サガ』は大きく分けると四種類に区分できます。

ノルウェー王などノルマン人の指導者について記した「王のサガ」。アイスランドの人々にキリスト教を布教する様子を描いた「司教のサガ」。アイスランド人がノルウェー王に服属するまでの様子を描いた「アイスランド人のサガ」。ノース人(ノルド人)に古くから伝わる伝承を記した「古代のサガ」の四種類です。

特に、「アイスランド人のサガ」には傑作が多く、ノルド人のアメリカ大陸探検の様子を描いた「赤毛のエイリークのサガ」や戦士にして詩人であるエギルについて語る「エギルのサガ」など興味を惹かれる物語が数多く含まれていますよ。

ノルマン人大移動の始まり

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ヨーロッパの歴史において、800年から1050年のおよそ250年間はヴァイキングの時代でした。ヴァイキングは高い機動力を生かし、神出鬼没の海賊として周辺諸国を恐れさせます。8世紀以降、スカンディナヴィア半島やユトランド半島でデンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどノルマン人の国家が成立しました。その後、ノルド人(ノース人)たちはアイスランドや北米への植民を試みます。

ヨーロッパを略奪するヴァイキング

ノルマン人たちは、故郷のスカンディナヴィア半島やユトランド半島では農業や漁業を生業としていました。彼らは高い航海技術を生かして交易をおこない、利益を上げていたようです。

8世紀以降、一部のノルマン人たちが交易ではなく略奪で利益を上げるようになりました。最初のターゲットとなったのはブリテン島やフリートラント(オランダやドイツの北海沿岸地域)です。その後、財産を持っている修道院への襲撃などが行われました。

襲撃の代表例とされるのが793年のリンディスファーン修道院や795年のアイオナ修道院の略奪です。9世紀以降、ノルマン人たちは略奪後も故郷に帰らず、越冬地を設営して恒常的な略奪を行うようになりました。

ノルマン人たちは河川をさかのぼり、中流域の都市も攻撃します。略奪で得た女性や子供はイスラム世界に奴隷として売却しました。

北欧諸国の成立

9世紀になると、北欧地域でも統一王国が成立します。スカンディナヴィア半島西岸地域は美髪王ハーラル1によって統一され、ノルウェー王国となりました。ハーラルの統一により、ノルウェー沿岸部で勝手な行動は出来なくなります。

スウェーデンの統一はノルウェ-より少し遅れた10世紀後半。ユングリング家のエリク6がスウェーデンに侵入してきたデーン人と戦い勝利しました。このことから、エリク6世は勝利王と呼ばれます。

ユトランド半島とスカンディナヴィア半島の南側にある島々に住むノルマン人たちをデーン人とよばれました。デーン人たちは9世紀ころにはデンマーク王国(デーン人の王国)を作ったと考えられますね。ノルマン人の中でも最も強力だったデーン人たちは、イングランドや周辺諸国に積極的に進出します。

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