イギリスヨーロッパの歴史

資本家に抵抗し機械を破壊した「ラッダイト運動」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

18世紀前半、イギリスで世界の歴史を変える大変革がおきつつありました。産業革命の始まりです。これまで、手工業の域を出なかった工業が、飛躍的にレベルアップし、大量生産が可能となりました。その一方で、手工業の担い手であった労働者は職を失います。労働者たちの怒りは導入された機械に向かい、機械打ちこわし運動であるラッダイト運動が発生しました。今回は、イギリスで起きたラッダイト運動の背景や経緯、その後に発生した労働問題などについてまとめます。

産業革命前のイギリスの工業

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ラッダイト運動の前、イギリスの工業は諸外国と同じく家内工業の段階にありました。エリザベス女王の時代におきた第一次囲い込み運動によって土地を失った元農民は都市に移り賃金労働者となります。都市では労働者を雇って工場で生産を行う工場制手工業(マニュファクチュア)が普及し始めました。

家内工業と問屋制家内工業

もともと、手工業品は農民たちが農閑期に作るのが主流でした。商業活動が活発になると、農民たちは農閑期に生産した手工業品を都市の市場で販売します。中には、都市の商人たちと専属的に取引するものもいたかもしれません。

中世になり、都市の商人たちが資本を蓄えるようになると、商人たちは手工業者に道具と原料を前渡しし、手工業品を生産させるようになりました。生産した品物は道具や原料を前渡しした商人が独占的に買い取ります。イメージしやすいように言えば、「内職」と同じような感じですね。

このような形態を問屋制、または問屋制家内工業といいました。ヨーロッパの中でも毛織物産業が盛んなイギリスで問屋制が発達します。

第一次囲い込み運動と賃金労働者の誕生

絶対王政が行われた16世紀後半。イギリスではエリザベス女王の治世に、第一次囲い込み運動が発生します。第一次囲い込み運動とは、地主が農地を囲い込み、農民たちを追い出してその土地を牧場にしてしまう動きのことです。

地主が牧場を広げたいと思った理由は毛織物の需要が増えたから。毛織物の原料である羊毛を確保するには、広い牧羊地が必要となります。そのため、農民たちを追い出し、農地を牧羊地にする必要がありました。トマス=モアが「羊が人間を食べている」と評し、第一次囲い込み運動を批判したのは有名な話ですね。

地主たちが羊毛を販売して大儲けする一方、土地を奪われた農民たちは農村を離れて都市へと流入。農業以外の仕事につきました。この元農民たちは賃金労働者として都市に暮らします。

工場制手工業(マニュファクチュア)とは

土地を失って都市に流入した元農民たちに注目したのが、毛織物工場の経営者たちでした。囲い込み運動などで財を成した地方のジェントリ(郷紳)ヨーマン(独立自営農民)は都市部に工場を建て、元農民たちを雇います。元農民たちは工場で賃金労働者となって働きました(工場制手工業)。

マニュファクチュアの段階では資本は小さく、機械も使われていません。しかしながら、お金を出す資本家と労働力を提供する労働者という2つの階層のもとは、マニュファクチュアの段階で登場しているといってよいでしょう。

工場に集められた労働者たちは、作業の工程ごとに分けられて複数の人が同じ作業をしました(分業と協業)。その後、各作業工程でつくられものを組み合わせて製品を完成させます。

産業革命の始まりとラッダイト運動

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18世紀前半、イギリスでは産業革命がはじまりました。マニュファクチュアの進展などによる資本の蓄積や囲い込み運動による賃金労働者の発生により他国よりも産業革命が起きやすい条件が整っていたからでしょう。イギリスで産業革命が最初に始まったのは綿工業でした。産業の機械化や機械の進化が進むと、手工業の担い手だった労働者たちは失業してしまいます。これに反発した熟練労働者は機械打ちこわし運動を始めました。

なぜ、イギリスで産業革命がはじまったのか

イギリスで他国に先駆けて産業革命がおこった理由はいくつかあります。一つ目は毛織物工業や大西洋三角貿易で大きな利益を上げ、資本を蓄積できたこと。二つ目は、スペイン・オランダ・フランスとの植民地戦争での勝利による海外市場の拡大

三つ目は、第一次囲い込み運動によって発生していた都市の賃金労働者の存在。四つ目は、石炭や鉄鉱石などの資源の産出。五つ目は、商人たちによる自由な商業活動が可能な環境と中産階級の台頭

これらの条件がうまく組み合わさった結果、他国に先駆けて産業革命がはじまったと考えられます。商品を大量に生産し、できた商品を効率よく販売することで利益を上げる仕組みを作り上げたイギリスは、「世界の工場」と呼ばれるほど工業生産力が高い国家へと成長していきました。

産業革命期におきた綿工業の技術革新

大航海時代によってヨーロッパ人の活動範囲が広がった17世紀、インド産の高品質綿布がイギリスにもたらされ人気となります。そのため、イギリスでは綿織物の需要が高まりました。

綿織物を生み出す工程は2つに分けられます。第一に、綿花から綿糸を紡ぎだす紡績。第二に、綿糸をつかって綿布を作り出す織布。この二つの工程で技術革新が起きました。

1733年、ジョン=ケイが飛び杼とよばれる織布の新しい技術を生み出し、綿布の生産量を増やしました。すると、18世紀後半にはハーグリヴズアークライトクロンプトンらが次々と新しい紡績機を発明し、綿糸の生産量を増やします。カートライトが蒸気機関を使った力織機を発明すると、綿糸の生産量は飛躍的に増大しました。

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