天皇と外国
これだけなら単なる攘夷論で終わるのですが、さらに日米修好通商条約はなんと大老である井伊直弼が独断で結んだことでさらに事態がややこしくなってしまいます。
実はこれには事情があってこの時の天皇の孝明天皇はゴリゴリの外国人嫌い。その嫌い具合は幕府の役人が『外国と条約結びますけどいいですか?』と聞いたところ、『神国日本が外国人みたいな汚くて卑しい化け物みたいな人と仲良くするなんてありえない!そんなもん無しだ!』と拒否するほどだったとか。
孝明天皇に嫌われた結果井伊直弼は仕方なく日米修好通商条約を結ぶことになるのですがその結果日本の産業はボロボロになってしまう有様に。
すると怒りは外国人だけではなく、井伊直弼ら条約を結んだ幕府に向けられます。
これがのちの安政の大獄や桜田門外の変につながるのですが、この結果別々だった尊王論と攘夷論が合体して尊王攘夷論という考え方になっていきました。
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