若者が就職に困らなかった時代
日本を経済大国に押し上げたものがあるとすれば、それは高度成長期抜きに語ることはできないでしょう。世界に追い付き追い越すため、必死で努力してきた先人たちの知恵や行動力があったからです。また高度成長期に続くバブル時代も含めて、若者にとって就職がどのようなものだったのか?氷河期世代について語る前に解説していきたいと思います。
若者が「金の卵」だった時代
暗く苦しい戦争が終わり、日本が復興していく中で、経済も順調な伸びを見せていきます。建材や生活必需品などの内需が拡大し、国内産業にとってようやく明るい希望が見え始めた頃です。
また昭和25年から始まった朝鮮戦争による特需景気に始まり、続く【神武景気】によって戦争前の水準にまで経済が復活しました。
さらに好景気を押し上げたのが、昭和33年から始まった【岩戸景気】という経済の伸びでした。戦争や米軍関連の特需は減ったものの、重化学工業の技術革新があり、民間企業の投資が別企業の投資も触発する「投資が投資を呼ぶ」といった状況となりました。必然的に産業の高度化も進められ、ここから日本の高度成長期が始まったと言っても過言ではありません。
消費指導型と呼ばれる【いざなぎ景気】が昭和40年に始まるに及び、ついに日本の実質経済成長率は10%を超え、それまで見上げるだけの存在だった欧米諸国を抜き去ったのです。
また企業や産業の成長と共に多くの若い人材を必要としました。中学や高校を卒業したばかりの若者が、どんどん地方から就職列車に揺られて東京や大阪などの大都市で就職し、日本の経済成長を支えたのです。いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人々ですね。
当時の彼らは「金の卵」と呼ばれ、就職先も引く手あまただったそうです。日本人の本質は勤勉で「よく働く」ことが美徳とされました。また給与の多くが貯蓄に回されることになりました。銀行の豊富な預金は融資として企業の資金として回され、設備投資費として当てられたのですね。
内需や国内消費を基本とした好景気は、日本の隅々にまで安定をもたらし、「もはや戦後ではない」という言葉通り、日本を大国へと押し上げる原動力となったのです。
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「超売り手市場」となったバブル景気時代
順調に経済が発展し、経済成長を続けてきたわけですが、これに冷や水を浴びせたのが昭和48年のオイルショックと、昭和60年のプラザ合意です。
オイルショックは、OPEC(石油輸出国機構)加盟国が一斉に原油価格を引き上げたことにより、日本の製造業は大きな打撃を受けることになりました。円高不況と重なって消費が低迷。モノが売れないだけでなく、政府は大型公共事業を抑制・凍結させたのです。これで日本の安定成長にストップが掛かることになりました。
さらに追い打ちを掛けたのがプラザ合意です。それまでの円安ドル高でアメリカの貿易赤字が増大したため、為替レートを是正するために円高ドル安に移行したのでした。これは当然の結果なのですが、今度は逆に日本の輸出業が大きな痛手を蒙ることとなりました。また中小企業の連鎖倒産も激増し、不況の波が日本全土を覆いました。
そこで中曽根内閣は、日米の貿易摩擦を解消するため国内需要の喚起を公約として掲げたのです。公共事業を大幅に拡大し、日銀が市中銀行に融資する際の金利を大幅に下げさせました。(公定歩合)
そのため国内製造業は銀行から融資を受けやすくなり、土地などを担保にして潤沢な設備投資金を得ることになったのです。銀行も金利で利ざやを稼がねばならないため、どんどん企業へ資金を融資します。そのため多くの資金が市場にだぶつくこととなり、土地や株式の投機に回されました。結果、地価や株式が急騰し、実体経済とはかけ離れた好景気が訪れることになりました。これをバブル景気と呼びますね。(1986~1991年)
また企業は過剰な投資と共に、雇用の拡大に躍起となりました。高卒・大卒の人材をいち早く囲い込み、企業の成長に繋げることが至上命題となっていたのです。学生たちにとって就職先などいくらでもあり、複数の内定先が決まることは当たり前でした。学生が就職先を選ぶという「超売り手市場」となっていたのですね。
当時の就職活動も、今では考えられないことがたくさんあったそうです。
・面接の際に交通費どころか日当まで支給してくれた。
・内定が決まるとTDLや海外旅行に連れて行ってくれた。
・企業に資料請求しただけなのに内定の電話が掛かってきた。
・面接でピンクのスーツを着ていた学生が、その後内定式にいた。
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いよいよ「就職氷河期」に突入した日本
好景気には必ず終わりがあるもの。その落差が大きいか小さいかで、その後の景気動向は大きく左右されます。しかし実体経済を伴わない好景気ほど恐ろしいものはありません。やがて学生たちの就職活動に大きな影を落としていくのです。「就職氷河期」そして「失われた10年」のはじまりでした。