平成日本の歴史昭和

狂気の時代「バブル景気」とは?どうして生まれた?わかりやすく解説

【3万8915円】 この数字何のことだと思いますか?実はこの数字は1989年12月29日に記録し記録た日本史上最高値の日経平均株価です。 現在の約1.5倍もあった日経平均株価。しかしこの景気は日本の現状に合わない異常な景気でもあったのです。 今回はそんな日本の好景気バブル景気についてみていきたいと思います。

どうしてバブル景気が起こったのか?

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バブル景気が巻き起こった原因は1985年に行ったとある出来事が発端となりました。

まずは、どのようにしてバブル景気となっていったのかについて見ていきましょう。

プラザ合意による円高推進

バブル景気の一つの原因となったのが1985年にあった5カ国蔵相会議で決められたプラザ合意でした。

当時、アメリカはベトナム戦争の後遺症や、第二次石油ショック、そして日本やドイツの経済がどんどん発展していったこと受けて貿易赤字と財政赤字といういわゆる双子の赤字を抱え込んでしまうことになります。

特に日本の企業は当時激しい円安だったこともあり、自動車やハイテク機器が次々とアメリカへ日本製品が大量に輸出。円安だと日本から安くて品質の良い商品がたくさん入ってくるので、アメリカの企業は安くて高性能な日本製品に太刀打ちできなくなっていきます。

こうなるとアメリカの産業は大打撃を受けるようになってしまいますからそのうち、アメリカ議会が「何とかしろ」とぶちぎれ。いわゆるジャパンバッシングが巻き起こることになりました。

では、アメリカどのようン五して日本との貿易赤字をなくしていくのか?かんたんです。円の価値を上げればいいんですよ。要するに日本の強みでもある激しい円安をどうにかすれば

日本から輸入した製品をアメリカで売るとき値段が高くなり、その一方で円高となればそれに呼応する形でドル安となるのでアメリカは自国の製品を海外に安く輸出できます。

こうして円高を推進するためにプラザホテルにてイギリス、西ドイツ、フランス、日本そしてアメリカといった先進国が集まってプラザ合意が行われたのです。

こうしてプラザ合意が決まった後、日本は一気に円高に推進するようになり、日本は大きく輸出がうまくいかなくなっていくようになり、いわゆる円高不況に陥ってしまうことになったのでした。

日本国の対策

こうして円高不況に陥った日本。プラザ合意以前は240円だったものがその後には140円となるなど大混乱。この狂乱的な円高によって輸出産業が大打撃を受けるようになって東京や大阪などの町工場には倒産が続出し、日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きなものでした。

そこで、日本政府はこのショックを和らげるために、国の金利を無理矢理大幅に下げてどうにかして国内への需要を高めて行こうとしていました。

しかし、この頃高度経済成長も終わっていた日本は低成長期。さらには円高不況であまり日本の景気がよろしくない状態でこんなことをやったとしても国内需要が高まることはありませんでした。しかし、金だけ持っていても仕方ありません。そこで日本の企業や国民はとあるものに目をつけるようになったのです。

土地への投資

お金を余らせていた企業や国民が目をつけたのが、土地と株でした。なんでこんなことを思ったのかバブル崩壊までは土地というものは「地価は必ず上がる、上がり続ける」という土地神話が生まれており、土地さえ持っていればどんどん利益を上げることができるという根も葉もない理論を信じていました。

そのために金利を大きく下げた後、みなこぞって土地やマンションといった不動産を買うようになっていき不動産ブームが勃発。

企業も稼いでためたお金を銀行に預けずに土地を買い、地価が高くなることによって会社は本業以外でも儲けることができると考えたわけです。

銀行も土地の値段は大きく上がると信じていたため、たとえ低金利であったとしても土地を担保(返せなくなった時に銀行のものとなるもの)にすれば銀行は喜んでお金を貸しました。だってもし返せなくなっても暴騰した土地さえ持っていればそれだけでも利益ですからね。

さらにはマスコミもこの土地神話を煽っており、『土地を資産運用していない経営者はアホのほかない!』と大々的に宣伝しており、本来であれば貯めて内部留保すべきなのにどんどん土地を買い占めるという事態に発展。

銀行から土地を担保にして金を借りる、それで土地を買ってまたお金を借りる、そして土地を担保にしてまたお金を借りるとお金をじゃぶじゃぶと使っていたのです。

株への投資

もう一つお金の使い道として株でした。

この頃、日本では中曽根内閣の下で国有企業を次々と民営化させていくいわゆる小さな政府という方針を取り続けていたのです。

そんな中日本の通信を牛耳っていた日本電話電信公社(電電公社)がNTTとして民営化するという情報が流れてきます。そして1987年に電電公社はNTTとして民営化することになったのですが、これに食いついたのが金があまりに余っている企業や国民だったのです。

通常売りはじめられた株というものは基本的には値上がりするもの。さらには元々国営企業だった企業であり、さらには日本の通信の最大手であるNTTの株を買って損をすることはまずあり得ないだろうと踏んだ人たちはNTT株が上場すると買い注文が殺到。初日からどんどん値上がりし、最初の売り出し価格は1株119万円だったのに対してわずか2カ月で318万円まで値上がりました。つまりNTTの株を1株買っただけでこの時に売れば1株で約200万円儲かるわけです。こんな楽な商売はありません。日本国民はこのNTTの暴騰を受けて空前の株ブームが到来。国民は株の値動きを必死にみて余ったお金を次々と株に投資し、全国の新聞や金融雑誌や金融商品評論家や不動産取引評論家等が出現して個人の金融取引を煽っていくようになったのでした。

みんなが買うから株価は大きく値上がり、それを見て国民はさらに株を買っていくようになり、そして東証平均株価は大暴騰することになったのでした。

世界の動きと日本のバブル到来

こうして、日本は土地と株を買い占めるようになり、日本はいわゆるバブル状態となりました。

しかし、世界の経済は全く違う方面へと行くよになります。まず1987年に香港の株価が大暴落するブラックマンデーがおこり、オーストラリアやアメリカなどの株価も連鎖して暴落するようになりました。つまり日本がバブル状態となっていた時、世界では不景気だったのです。

これに目をつけたのが金がありに有り余っていた日本の企業。日本の企業はアメリカの企業を次々と買収していくようになっていきます。例えば三菱地所はアメリカの象徴のビルの一つであったロックフェラー・センターを2200億で買収。さらにはゴッホの『ひまわり』を安田火災海上が約57億円で落札するなど日本が世界の経済大国、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』となっていたのです。

しかし、日本の好景気は日本の製品が世界で売れたからといった安定したものではなく、土地や株といったいずれ崩壊するようなものばかり。日本のバブルはまさしくすぐに弾けてもおかしくない砂上の楼閣でもあったのです。

バブル景気の弊害

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1980年代後半のバブル期に政府は「年収の5倍で住宅を」というスローガンを掲げており、一軒家を手に入れることを目標に貯金に励んでいた人は大勢いました。

しかし、土地の値段が上がりすぎた後で、一軒家なんてまさしく夢のまた夢という状態となってしまいます。

さらには、潤沢な資金を背景に都市再開発の動きが活発化。土地開発の邪魔となる土地の持ち主に対してお金や暴力的な手段などによって無理矢理土地を分捕るといういわゆる地上げ屋の強引な手口による地上げが行われるようになって社会問題にもなりました。

ちなみに、バブル崩壊の後は地上げ屋が買い取った土地を有効活用するためにコインパーキングといった小さい土地でもなんとか使えるような駐車場に変貌を遂げているんだとか。

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