平成日本の歴史

就職難の時代に誕生した「氷河期世代」とは?現代社会の縮図はココにあり!

バブル崩壊によって景気低迷の時代へ

バブル景気の終焉を「バブル崩壊」と呼びますが、好景気の終わりはまさに「日本経済の崩壊」そのものでした。1990年、当時の大蔵省は金融機関に対して「不動産融資総量規制」を通達します。

総量規制とは、加熱した土地投機を鎮静化させるために行われた通達で、土地を担保にした融資を抑えることが目的でした。これによって地価は落ち着き、過剰な融資合戦を抑えられるだろうという思惑だったようです。

ところが土地を担保にした融資を約束しておきながら融資を実行しない、または融資を引き揚げるといった「貸し渋り」「貸し剥がし」が横行し、大きく資産デフレを招く結果となりました。やがて地価は大きく下落し、追随するかのように株価も下降線をたどっていきます。

政府や日銀が緊縮財政に移行したこともあり、多くの金融機関は【土地】という不良債権を抱えたまま苦しむことになりました。銀行が弱ってしまえば、資金の融資を受ける側の企業も体力を失う結果となります。融資が受けられないために運転資金に困ったり、返済できなくなるケースが増え、企業倒産がどんどん拡大していったのです。

バブル崩壊は多くの企業にダメージを与え、もはや労働者の雇用にも熱心ではなくなりました。まさにこの時点において就職氷河期が始まったといえるでしょう。

失われた10年

1991~2000年頃、バブル崩壊後の就職氷河期において、就職活動をした人々のことを「ロスジェネ世代」と呼びます。いわゆるロストジェネレーション(失われた世代)という意味で、人気ドラマ「半沢直樹」に登場する主人公の世代がぴったり当てはまるでしょうか。

全国的な景気後退だけでなく、不良債権を抱えた銀行・証券会社が相次いで経営破綻を起こして金融不安に陥るなど、日本経済に大打撃を与えた暗い時代だったのです。あまりに長い不況が続いたため、「失われた10年」とも呼ばれていますね。

その10年間にバブル崩壊など記録的な不況がなければ、日本はもっと経済成長できただろうという意味になります。

ところが不況で企業の業績が下がったとしても、労働者の実質賃金を下げる傾向にはありませんでした。なぜなら日本の企業の道徳観は、労働者の権利を尊重すること。いわゆる賃金を下げないということであり、企業収益に対する労働分配率は上昇する傾向にありました。

しかしそれでは企業運営が立ち行かないため、不採算部門の廃止・統合や人員のリストラなどが横行したのです。

「会社にとって必要で不可欠な人材は賃金を下げることなく在籍してもらうが、会社にとって役立たない人間は辞めてもらう。」

簡単に言えばそうなります。また必要な雇用だけを確保するために、新卒採用も極限まで絞り込まれました。そしてこの頃から内定がどこからももらえない「就職浪人」なる言葉も出てくるようになるのです。

小泉内閣の金融緩和政策

2001年に登場した小泉純一郎内閣は、「公的企業の民営化」「政府規制の緩和」をはじめとした経済政策を打ち出し、「聖域なき構造改革」をスローガンとして推進していったのです。民営化によって公務員を大幅に減らし、多くの規制緩和による景気刺激策を打ち出し、地方再生のために3兆円にも及ぶ財源を地方自治体へ委譲しました。

いっぽう雇用に関しては、失業率を減らし有効求人倍率を増やすという見地もあり、労働者派遣法の改正が行われました。それによって多くの非正規労働者を生み出すこととなり、多くの派遣切りワーキングプアを伴う社会問題に発展していったのです。

2005年前後、政府や日銀が量的金融緩和政策に舵を切ったため、金融機関の不良債権処理や業績回復が徐々に進んでいました。それに連動して、輸出業を中心に各企業の業績が上昇基調にあり、新卒採用についても門戸が広がりつつあったのです。

多くの企業は「失われた10年」で大幅に人員を削減し、新卒採用を絞り続けた結果、働き盛りの中間層がいないことになり、従業員の年齢構成がいびつな形になっていました。支えるべき人材がいなければ先絞りしていくだけ。好調な業績を背景にして大量採用に踏み切る企業もあったそうです。

しかし就職浪人や、中途採用者にとって雇用環境は厳しいままでした。すでに年功序列終身雇用といった日本独特の雇用習慣が薄れつつある時代でしたから、即戦力や専門的能力を有する人材が求められたのです。

ふるいに掛けられ、こぼれ落ちた人間はどうなるか?労働環境が過酷なブラック企業か、非正規雇用に活路を見い出すしかありませんでした。

2010年以降の氷河期世代

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小泉内閣の構造改革により、日本の景気はわずかながら上向き、雇用環境も改善されましたが、やがて民主党政権時に起こったリーマンショックを迎えます。相次ぐ経済危機や天災などが続き、雇用情勢も悪化。2010年代の「氷河期世代」を生きた人々を苦しめていくのです。

日本に不況をもたらしたリーマン・ショック

リーマン・ショックのきっかけはアメリカの住宅バブルの崩壊でした。2007年末、住宅資産価格の暴落に伴い、サブプライム・ローンと呼ばれる住宅ローン商品があっという間に不良債権化したのです。サブプライム・ローンを投機目的として購入していた投資会社は軒並み危機を迎え、その中でも最大手だったリーマン・ブラザース社が経営破綻するに至りました。

それは同時にリーマン・ブラザースの社債や投資信託を持っていた他の企業にも影響が波及し、アメリカだけでなく世界的な金融不安をむかえることになりました。

日本ではリーマン・ブラザース経営破綻に伴う影響はほとんどありませんでしたが、世界的な景気悪化消費減退と連動して、輸出企業がまず大きな打撃を受けます。そこから連鎖的に製造業などへも悪影響が飛び火し、日本経済は悪化の一途をたどることになりました。

この時期に新卒採用を見送る企業も多くなり、2009~2010年はまさに就職氷河期だったといえるでしょう。とはいえ不況の期間も比較的短く、「就職氷河期と言えないのではないか?」と論ずる専門家もいますね。

東日本大震災

2011年3月11日、東北地方の太平洋沿岸を強い地震が襲いました。地震・津波による死者行方不明者は1万8千人に及び、40万もの建築物が全壊・半壊しました。

もちろん経済への影響も甚大なもので、国内の多くの工場が閉鎖、生産停止等に追い込まれました。また震災に関連する失業者も12万人を数えたといいます。

この大災害は雇用だけでなく就職にも大きな影響を及ぼし、2011年に卒業予定だった多くの内定者も、内定取り消しになったケースが多々あり、2012年度の新卒採用も大変厳しいものになったそうです。

しかし2012年は、65歳となる団塊の世代が大量に退職する年に当たり、さほど就職活動に影響がなかったと回想する方もいらっしゃいますね。

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明石則実