団塊の世代の生まれる時代背景
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団塊の世代がこの世に誕生した時代、日本は終戦直後。1940年代後半の日本は、GHQ統治下にありました。苦労に苦労を重ねた戦中の世代のあと、焼け跡から建設を重ねることが日本に求められていた時代です。この「どん底から今はただ上へ登るだけ」という特殊な時期に、労働力として日本を支え発展に関わった、彼らはどんな子供時代を送ったのでしょうか?
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終戦後の第一次ベビーブームで
1945年、太平洋戦争が終戦。戦場から復員した男性たちが妻をめとり、次々と子どもが産まれました。また女性も過剰なストレスから開放され、死産や流産が少なくなったのです。1949年に誕生した赤ちゃんの数は、289万6638人!ちなみに2019年の出生数は86万4000人。少子化という事情を差し引いても、団塊の世代の出生数はずば抜けていますね。
この頃のベビーブームにはさらに深刻な事情が絡んでいます。なんと、強姦や姦通という一部分の例外を除いて堕胎が認められていなかったのです。妊娠したら問答無用で産むしか選択肢がなかったんですね。1949年に「経済的事情による堕胎」が法律で認められました。昔の小説やドラマでよく見る「子沢山で赤貧にあえぐ」という悲劇的な光景はこれを境に激減することになります。
団塊の世代たちが育った学校では1教室50~60人、しかもそれが10クラス以上ある状態。それでも学校から子どもがあふれるほどでした。団塊の世代は学校を舞台に競争が繰り広げられ、歳を重ねたら会社で競争がなされ……親世代となる戦前戦中世代の努力もあって、日本経済は右肩上がり。まさにいい波に乗った世代です。
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団塊の世代と、世界の事件
彼らが20歳で成人するまで、つまり1967~1969年ごろまでの日本史と世界史をたどっていくと、その特殊性が浮き彫りになります。第二次世界大戦が無事に終わってよかったねと言うまもなく、冷戦が開始。1946年には鉄のカーテン演説で東西の対立が決定的になります。また1948年に朝鮮戦争が勃発し、「四等国」あつかいされていた日本は軍需景気で浮かび上がることとなったのでした。
現在のように情報が飛び交う時代では当時は、ありません。毛沢東率いる中国共産党の文化大革命が1966年から10年間、粛清と国土・文化破壊が重ねられましたが、それらも美化・捏造されて伝えられました。1955年にベトナム戦争が勃発して、ヒッピーなどの反戦運動が展開されます。第二次世界大戦の悲劇からまもない世界。人々は平和を求め、左翼思想に理想を求めていくのです。
これはある種、右翼・愛国思想で戦争に突き進んでしまった前世代の反動でした。最終的に左翼思想は何も生み出さず、共産主義や社会主義は1989年に崩壊し、破壊の痕を残して世界史から去っていくことになるのですが……それはまた後の話です。
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団塊の世代はどんな人生を送ったのか?
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団塊の世代ってどんな人たち?ネットで評価を見るとさんざんです。「団塊の世代」で検索をかけると、候補ワードに出てくるのは「頭おかしい、クズ、老害」など。……要約すると、別世界の時代環境で育てられた異常に高い自己肯定感を押しつけてくる、という人たち。自己肯定感が高い人間は、過去に成功体験を重ねてきたという背景を持ちます。日本のオイシイ部分を味わった団塊の世代。どのような壮年時代を過ごしたのでしょうか。
学生運動と団塊の世代の関係
当時の進学率は15~20%。筋金入りのインテリたちが大学へ進学したのです。しかし彼らを待っていたのは学業だけでなく、左翼思想の洗礼でした。学生運動のはじまりです。安保闘争やベトナム戦争反対を叫び、毛沢東主義に傾倒した若きインテリジェンスたち。平等や平和を求めた彼らの理想は良かったのかもしれませんが、内ゲバや暴動、テロリズムなどが表面化していきました。
暴力行為の露呈と同時に学生運動は下火になりましたが、団塊の世代以降の日本の若い世代に「デモや政治運動はカッコ悪い」と強く思わせる一連の事件となりました。これが現代において「親や故郷の期待を背負って大学進学したのに、デモや暴動で『遊んで』ばかり。挙句の果てに日本を左寄りにさせた」と憤りをこめて語られる要因です。
現在もその総人口における団塊の世代の割合の関係上、日本の政治思想に左翼の影響が濃くなる傾向にあるのは事実。平和への夢を持つのはいいのですが、暴力や闘争はいただけません。こうして反体制や反権力を叫び、資本主義に反対した人びとでしたが、学生を卒業した後は企業戦士として日本の高度経済成長時代に貢献し、資本主義を謳歌するという皮肉な情景が生まれたのです。