日本の歴史飛鳥時代

日本初の歴史書「日本書紀」の神代は謎に満ちている!何が書かれているか解説

日本書紀は、日本の歴史書として最初に編纂されたものとして有名ですが、意外とその内容は知られていません。いろいろと謎に満ちた書物と言えます。この日本書紀の中で、特に謎が多いのが、神代の時代と初期の天皇の時代です。日本人の祖先はどこから来たのでしょう。この日本書紀における神代と初期天皇の時代の謎について解説します。

日本書紀とは_いろいろな謎とは

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日本書紀は、天武天皇が指示して720年の養老年間に舎人親王らが編纂、成立した、現存する日本で最初の史書(正史)です。もちろん、漢文で書かれています。7世紀初頭の聖徳太子の時代にも帝紀(天皇家の系図)などの編纂が試みられたと言われていますが、残っていません。日本書紀は、日本列島の創生から持統天皇までを描いた史書で、特に神話においてはさまざまな謎や疑問があります。また、天皇家の時代でも、初期の神武天皇の後の八代については、エピソード(物語)が入っておらず、その存在を否定する学者もたくさんいるのです。

日本書紀が編纂された同時期に作られた史書として、古事記があります。正史とは言えない古事記と正史の日本書紀には内容に差があり、それもどちらが正しいのか謎と言えるのです。江戸時代には、太安万侶(おおのやすまろ)が編者になった古事記の正当性を主張した本居宣長もいました。現代でも、両書のことを記紀と言って研究されていますが、考古学的な考証ができないため、謎は解明されていません

日本書紀の神代編は謎の宝庫

特に謎が多い神代の時代は、さまざまな神話が織り込まれ、また、別異伝(別に伝えられた物語)も多く残されています。中国側の資料には、倭の国として後漢書などさまざまな史書に記述がありますが、それらと一致した点は神代においてはほとんど見当たりません。

古代の日本は多神教であり、さまざまな神様が登場していますが、実在を証明するものはなく、すべての物語が謎と言ってもよいほどです。

この日本書紀の神代の時代と疑問に満ちた初期天皇の欠史八代の謎を中心に、主なものを解説していきます。

日本書紀の初めの謎_伊弉諾と伊弉冉はどこから来たのか

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日本書紀には、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)以前の天地開闢(てんちかいびゃく)の時代にも多くの神様がいましたが、日本列島を作ったのは、このお二人です。二人は夫婦で、大海をかき混ぜて作ったのが、この日本列島で豊秋津洲(とよあきつしま)と言われていました。最初にできたのは、おのころ島で、次に淡路島ができたと言われています。

伊弉冉は出雲の黄泉の国の出身として描かれ、火の神であるカグツチを生んだ時にその火に焼かれて亡くなり、黄泉の国に帰ったとされるのです。もともと、日本列島を作ったのは、伊弉諾・伊弉冉であったのに、日本列島にふるさとの黄泉の国があったというのも矛盾していますね。

しかし、この伊弉諾と伊弉冉は本当はどこから来たのか、まだわかっていません。一説には、海族(あまぞく)だったとされています。また、別伝で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が母の国として朝鮮半島に行こうとしたことが書かれてあり、朝鮮半島から来たのではないかという説もあるのです。

伊弉諾から生まれた3神とは

また、伊弉冉が亡くなってから、九州の筑紫で伊弉諾が川で禊ぎ(みそぎ)をしていた時に、高天原の3大神と言われる神様が3体生まれています。天照大神(あまてらすおおみかみ別名オオヒルメムチ)、月読尊(つくよみのみこと)、それに素戔嗚尊です。伊弉冉が亡くなった後に生まれた3神、特に天照大神がなぜ高天原の主となったのかは謎となっています。日本書紀には何も書かれていません。

しかし、この天照大神の子孫が天孫降臨して減殺の天皇家の血筋となっていくのです。現在でも、伊勢神宮には天照大神が祀られ、天皇陛下は毎年正月にはこの伊勢神宮をお参りされています。この天照大神の正体は、大いなる謎と言えるのです。

伊弉諾は日本列島を作ったのになぜ天照大神は高天原に住んだのか?

伊弉諾は日本列島を作ったのですが、その子供の天照大神は日本列島に住んでいたとは書かれておらず、高天原の主となっています。この高天原はどこにあったのか、全くわかっていません。日本列島の中にあれば、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)に対して、国譲りを要求する必要はないのです。当時の大国主命は、出雲というよりも日本列島そのものを支配し、栄えていたとされています。出雲風土記によると、収穫の終わった10月には、日本中の神様が集まって神無月と言われるようになったと書かれていました。

いずれにしても、高天原はどこにあったのかは大いなる謎です。朝鮮半島に倭族がいて、その朝鮮半島の倭族がいたところを高天原とするという説もあります。

日本書紀の神代編で多くの部分を占める出雲神話とは何なのか

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日本書紀、特に神代編には、出雲神話に関わる部分がたくさん入っています。日本書紀だけでなく、古事記や出雲風土記にも多くの神話が伝えられているのです。神代の神話のかなりの部分を占めているということは、この日本列島に出雲いう大国があったことを示しています。また、考古学的にも島根県(出雲)の荒神谷遺跡などでこれまで発見されたよりも多くの銅剣や銅鐸が発見されたことから見ても、かつて出雲は大国であったと言えるのです。しかし、日本書紀の神代編の多くを占める出雲国が、なぜ、消滅してしまったのかも大きな謎と言えるでしょう。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)

日本書紀に出雲が最初に描かれたのは、素戔嗚尊が、天照大神に高天原を追い出されてたどり着いた先でした。そこで、素戔嗚尊は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、出雲の国の櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を妻に迎えて、出雲の主となるのです。この素戔嗚尊が高天原で天照大神と競って生まれたのが、世界遺産に登録された沖ノ島にも1人が祀られている宗像三神という女神でした。出雲にいた素戔嗚尊に対して、なぜ宗像三神は九州の臼杵(宇佐八幡宮)に祀られているのかも謎と言えます。

一方、大国主命は、出雲神話には欠かせない神様です。オオアナムチとも言われ、一寸法師の原型と言われるスクナビコナとともに、日本列島の各地を回り、国作りを進めたと書かれています。また、彼には多くの兄たちがいましたが、大国主は、スサノオの娘であるスセリ媛を妻に迎え、その協力によってその兄弟たちを滅ぼし、出雲の主になったのです。このように、日本書紀の中には、因幡の白兎伝説など、大国主の神話、物語がたくさん残されています

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