日本の歴史昭和

多くの餓死者を出した餓島「ガダルカナル島の戦い」を元予備校講師がわかりやすく解説

本土空襲、沖縄戦、そして日本降伏

1944年にサイパン島が陥落すると、アメリカ軍は長距離爆撃機のB-29を使って日本本土を空襲しました。東京・大阪・名古屋などをはじめとして、日本各地の大都市が空襲の標的となります。多くの民間人が空襲の犠牲となるとともに、日本の工業生産力が壊滅的な打撃を被りました。

1945年、アメリカ軍は沖縄に上陸。沖縄戦が始まりました。沖縄守備隊は地域住民を巻き込みながらアメリカ軍に対し徹底抗戦を展開。多数の死者を出して壊滅しました。

1945年8月、アメリカは長崎と広島に新型爆弾(原爆)を投下。それぞれの都市で10万人単位の犠牲を出しました。ここに至って日本はポツダム宣言の受諾を連合国に通達。8月15日の天皇によるポツダム宣言受諾の玉音放送により、実質上、太平洋戦争は終結しました。

ガダルカナル島の戦いは兵站と目的の重要性を物語る

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ガダルカナル島の戦いは、日本にとって泥沼の消耗戦となりました。もともと、ガダルカナル島に飛行場を作ったのはアメリカとオーストラリアを分断するためです。しかし、ミッドウェー海戦の敗北で空母を失った日本に、両国を遮断する力はありませんでした。ガダルカナル島は、あるいみ、戦略的価値を大きく低下させたのです。にもかかわらず、当初の目的に固執して島の奪還にこだわり多数の死者を出しました。補給・兵站の軽視から多数の死者を出した戦いは、準備と明確な目的の大切さを現代に物語っていますね。

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