沖縄の理想郷伝説!「ニライカナイ」ってなんだろう?
ニライカナイってどんな意味?
まずは、ニライカナイという言葉自体に注目してみましょう。「ニライカナイ」(「ニルヤカナヤ」と言うこともあります)、何がもとになっているのか、どこで区切るのかも見当がつきませんよね。非日常感のあふれる沖縄の言葉について、そしてこの単語の成り立ちについて見ていきたいと思います。
「琉球語」は一般的日本語とかなりの違いがある
沖縄の方言や言葉って、独特な雰囲気があってすごく魅力的に思いませんか?「沖縄方言」というのは、実は「琉球語」のなかの一つなのです。「沖縄方言」のことを、現地の言葉で「ウチナーグチ」と言います。標準語とかなり違うことがあるため、日本語とは別の言語と考える言語学者もいるほどなのです。なんと別の言語でたとえると、フランス語とイタリア語くらい違うそうですよ。
そして「琉球語」というくくりのなかでも、「沖縄方言」、「奄美方言」、「八重山方言」でおおきな差があります。 日本で昔使われていた古語の名残りや、中国語由来の言葉なども見られ、とても興味深い方言です。
「ニライ」+「カナイ」??
「ニライカナイ」という語の成立に関する説は、いくつかあります。有力なのは、「ニライ」が「根の方」という意味を持つというもの。では「カナイ」はなにか?というと、琉球語には言葉のあとに韻をよくするために語を置くことがあるそうで、その類ではないかという説があるのです。また、「彼方(かなた)」を意味するという説も。
ちょっと怖い説もあるので紹介します。それは、「ニライ」が「地獄」を意味し、「カナイ」が「消える」を意味するという説。梵語(サンスクリット語)の「niraya」、「kanaya」の発音に基づきます。繋げれば、「地獄に消える」。もしもこの説が正しいのだとすれば、理想郷の名前としては少し怖い感じがありますね。どれも確定的なものではありませんが、だからこそニライカナイの不思議さが際立ちます。
沖縄の伝説とニライカナイ
image by iStockphoto
沖縄や鹿児島の奄美群島は海に囲まれています。だからこそその地に住んだ人々は、海の向こうに何か別の国があると考えたのでしょう。ニライカナイには神が住むとされ、その地からはさまざまなものが流れ着き、神様の来訪とともにもたらされるとされています。必ずしも「良い」ものだけではなく、災いという「悪い」ものが運ばれてきて、もたらされてしまうという説もあるとのことです。
ニライカナイ、場所はどこにあるのか
ニライカナイは方向的には、沖縄からずっと東の海の遥か彼方にあると言われています。西側には日本列島があるので、その反対側ということになりますね。また、「島」として存在するのではなく、海底や地底にあるという伝説もあるのです。竜宮城の物語、「浦島太郎」が頭をよぎります。もし、そんな国があったなら……。考えるだけでわくわくしますね。
古代のことではありますが、本土にはニライカナイと似た概念で、「常世国」というのものがありました。こちらも神の住む理想郷で、ニライカナイと同じく海の彼方にある国とされているのです。古事記や万葉集の時代の概念なので、沖縄の信仰に何かしらの影響を与えた可能性もあるかもしれません。
琉球神、アマミキヨ
沖縄でおもに信仰される「琉球神道」は、本土の神道とは異なり、独自の神話を有しています。その神話のなかには琉球という地がどうやってはじまったか、という開闢(かいびゃく)神話があるのです。いくつかの神話があるのですが、もっとも有名なのはニライカナイからやってきたアマミキヨという神様が島を作り、そこに男女を住まわせた、というもの。古事記におけるイザナギ・イザナミの神話との共通性も少し感じられます。
アマミキヨが最初に訪れた島は、久高島だそう。そして沖縄で一番神聖な御嶽(うたき)は「斎場(せーふぁ)御嶽」。御嶽とは、祭祀をおこなう場所であり、神がやってくる場所でもあるとされます。斎場御嶽の遥拝所からは久高島を眺めることができるのです。ちなみにアマミキヨは女性神なんですよ。
ニライカナイ以外にもある、神々の島
実は沖縄・奄美における他界観念は、ニライカナイだけではないのです。その他界の名前は、「オボツカグラ」。ニライカナイは海の続く先にあるもので、それを「横」方向の世界とあらわすとすれば、「オボツカグラ」は「縦」方向。つまり、空の上にあるとされる異界です。場所だけでいえば、私たちが一般的にイメージする「神様の住むところ=天上の国」と近いような気がします。
「縦」という言葉から連想されるものはありませんか?そう、それは「縦社会」。このことから、ニライカナイが主に庶民のあいだで信仰されたのに対して、「オボツカグラ」は琉球王朝のトップが権威の維持のため使用した観念だと考えられているのです。ニライカナイが「オボツカグラ」より沖縄で一般的に広まり、また今でも浸透している理由は「庶民信仰」だったからという点がありそうですね。