その他の国の歴史アフリカ

多くのアフリカ諸国が独立を果たした「アフリカの年」を元予備校講師がわかりやすく解説

16世紀以降、ヨーロッパ諸国は奴隷貿易を通じてアフリカと深くかかわりを持ちました。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ列強はアフリカを植民地化します。第二次世界大戦後、アフリカの大半を植民地としていたイギリスやフランスの力が衰え、各地で独立運動が活発化しました。そして、1960年「アフリカの年」で一気に17もの国が独立を達成します。今回は、アフリカの年についてまとめてみましょう。

アフリカの植民地化

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16世紀、ポルトガルやイギリス、フランスはアフリカ大陸の大西洋沿岸の部族と取引し、奴隷貿易を行っていました。19世紀に入ると、ヨーロッパ人たちはアフリカ大陸の内陸部にも進出します。19世紀末、ヨーロッパ列強はアフリカ各地を分割。次々と、アフリカ諸地域を植民地化していきました。

アフリカの部族社会にダメージを与えた奴隷貿易

16世紀、ヨーロッパでは航海技術が発達し大航海時代を迎えます。イギリス、フランスの武装商人たちはヨーロッパとアフリカ、新大陸とよばれ南北アメリカを結ぶ大西洋三角貿易で莫大な利益を上げました。

ヨーロッパ人たちは、ヨーロッパで武器、酒などの嗜好品を積み込み、アフリカ大陸の大西洋沿岸を目指します。アフリカでは、沿岸の部族に武器を売却し、内陸の部族と戦わせ、捕虜となった黒人奴隷たちを買い取りました。

黒人奴隷を積み込んだ船は大西洋を渡り、南北アメリカでヨーロッパ資本が経営するプランテーションに販売し、労働力として使役します。働き盛りの男女を奴隷として奪われたアフリカ諸地域では、人口増加が停滞気味となり、国の発展に悪影響をもたらしました。

ヨーロッパ人によるアフリカ探検

18世紀中ごろ、イギリスでは産業革命がおき、工業生産力が飛躍的に向上しました。イギリスはで、工業製品の輸出で得る利益が奴隷貿易での利益を上回るようになります。また、啓蒙思想が登場することにより、奴隷貿易に対して批判が強まりました。1833年、イギリスで奴隷制度廃止法が成立。以後、各国もそれに倣い奴隷貿易は衰退します。

19世紀半ば以降、ヨーロッパ人たちは「暗黒大陸」とよばれ未知の領域だったアフリカ大陸内陸部への探検を行うようになりました。探検を最初に行ったのは宣教師たちです。

宣教師たちは「暗黒大陸であるアフリカにキリスト教という光をもたらす」という使命感に燃えていました。アフリカ探検はキリスト教の布教とセットで行われます。

ナイル川の源流探索を行ったリヴィングストンや、アフリカ大陸横断を行ったスタンリーなどが代表的な探検者ですね。

列強によるアフリカ分割

19世紀後半、地理的な知識を得た帝国主義時代のヨーロッパの列強はアフリカ大陸を植民地として分割していきます。

イギリスは南アフリカのケープタウン(喜望峰)と北アフリカのエジプトを結ぶ地域の植民地化をはかりました(縦断政策)。一方、フランスは西アフリカのモロッコと、南東アフリカにあるマダガスカル島を結ぶルートの植民地化を図ります(横断政策)。

ヨーロッパ列強によるアフリカ分割を加速させたのが1884年から85年にかけて開かれたベルリン会議です。ドイツのビスマルクが開催したベルリン会議で、ベルギーがコンゴを植民地化することや、先に占領した国が植民地として支配できるとする内容が決められました。

早い者勝ちの原則が決まったことで、各国は競ってアフリカ各地を植民地化します。植民地化を免れたのは、エチオピアリベリアだけでした。

17もの国が独立したアフリカの年

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20世紀前半におきた第一次世界大戦と第二次世界大戦は、イギリスやフランスに大打撃を与え、植民地を支配する力を衰えさせました。第二次世界大戦後、アフリカ諸国では独立運動が活発化します。東西両陣営のどちらにも属さない第三世界の力が強まる中、エンクルマがガーナ独立を達成。民族意識が高揚した1960年、17カ国が一気に独立するアフリカの年を迎えます。

アフリカの年の背景

第一次世界大戦と第二次世界大戦は、アフリカに多くの植民地を持つイギリスとフランスに大ダメージを与えました。国際政治の主導権は、アメリカとソ連に移ります。米ソ両国は植民地主義に対して反対の立場を表明しました。

1956年におきた第二次中東戦争では、エジプトのナセル大統領スエズ運河の国有化を宣言。アフリカへの支配力を維持したいイギリスとフランスはイスラエルを支援してエジプトと戦います。しかし、米ソ両大国が戦争に反対したため、イギリスとフランスはスエズ運河の利権を取り戻せませんでした。

また、アフリカ諸国では第二次世界大戦直後に独立を果たしたアジア諸国に刺激され、欧米で教育を受けた指導者層を中心として独立運動がおきます。

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