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20世紀フランス文学の巨編「ジャン・クリストフ」ロマン・ロランの大長編小説を解説!

20世紀初頭フランス文学の傑作として名高い、ロマン・ロランの大長編小説『ジャン・クリストフ』。9年に渡って執筆・連載された全10巻におよぶ大長編です。1人の激しい気質の男の誕生したまさにその日その瞬間から、死の時までを徹底して描いたスゴイ小説。年間読書量300作品、読書家の筆者が実際に読んだ上で分析・解説します!この偉大な作品の紹介をいたしましょう。

文豪ロマン・ロランのプロフィール

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まずは『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ロランのプロフィールをご紹介。19世紀末から20世紀というのはプルースト、カミュ、ジッドなどフランス文学の一大黄金期の1つです。戦争の世紀の文学は、政治や歴史、民族にまで言及して描こうとした模索の連続でした。そんな時代のノーベル文学賞を受賞することになる、理想主義者にして反戦論者のロマン・ロランは一体どんな人物だったのでしょう?

ロマン・ロランって誰?『ジャン・クリストフ』の執筆へ

1866年、ロマン・ロランはフランス中部の公証人の家に生まれます。公証人というのは法的文書を扱う職業。知識階級の中流階級に生まれたロマン・ロランは、14才の頃にパリへ移住し、名門のルイ大王高等中学校に入学しました。当時、芸術の都として世界にその名を馳せていたパリでは芝居や音楽会が毎日開催。学生時代は、20世紀フランス文学で重要な立ち位置を持つこととなるポール・クローデルと同級生になります。この文才あふれる学友といっしょに文学や音楽を愛好しピアノをたしなみました。

ちなみにロマン青年はこの時代、一大ムーブメントを起こしていたロシアの大文豪・トルストイと文通までしています。すごい時代だったんですね。その後、大学で専攻していた歴史の教授試験に合格。イタリアのローマに留学します。この時、ニーチェやワグナーなどに関心を持ちました。ちなみに留学先での寄宿先は、なんとフランス大使館のあるファルネーゼ宮殿!ここで暮らすうちに国際情勢にも目を開いていったのです。

ロマン・ロランの代表作『ジャン・クリストフ』が執筆されたのは、1903年から1912年のこと。9年に渡って雑誌『半月手帖』に連載されました。非常に高い評価を受けたこの大河小説の功績により、フランスで最高の栄誉諸王であるレジオン・ドヌール勲章をロマン・ロランは受勲しています。また1915年にはノーベル文学賞を受賞しました。

「反戦論者」ロマン・ロラン

『ジャン・クリストフ』作中でも民族や国家、革命や戦争の足音が不気味に響いていますが、この直後に起こったのが、1914年から4年に渡って世界中が舞台となった第一次世界大戦です。ロマン・ロランは一生を通して、反戦論者でした。反戦という主張は時代によっては危険がともないます。自分たちの国が侵攻されそうな時に、いかに正論であっても反戦を主張すれば「空気読め」「非国民」と袋叩きにあいかねません。

ロマン・ロランもまた戦争中止を訴え、フランスから大非難を浴びます。偶然滞在していた永世中立国スイスへ留まるはめに(事実上の亡命)なりました。そこで反戦の立場から社会主義・共産主義を応援したのです。有名人ロマン・ロランはスターリンにも面会したほど。しかしソ連が独ソ不可侵条約を破ったことから、共産主義による平和は成し遂げられないと悟って共産主義の団体からは足を洗いました。

そしてロマン・ロランはナチス・ドイツやイタリアのムッソリーニによるファシズムに対して猛反対の立場を示します。ローマ・カトリックを統率するバチカンでさえもファシズム体制を事実上容認した時勢において、これは非常に勇気ある行動だったと言えるでしょう。終生反戦を主張し、理想主義をつらぬいたロマン・ロラン。スイスの地で、ナチス・ドイツによって占領されていたパリ開放のニュースを聞き、終戦のまさにその年1944年12月30日、スイスにて永眠しました。

実録!『ジャン・クリストフ』ってどんな小説?

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その長さ全10巻!音楽家ジャン・クリストフ・クラフトが誕生した瞬間からその死までを丁寧に描き、社会や世相、民族性、国民性、そして人間や芸術家の本質まで描こうと試みた力作です。『ジャン・クリストフ』でロマン・ロランは19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパそのものの姿を、すべて描こうとしています。そのエネルギーには圧倒されるばかり。『ジャン・クリストフ』の魅力を解説しましょう。

神童音楽家ジャン・クリストフの少年時代(第1巻『暁』~第2巻『朝』)

ヨーロッパにおける音楽大国といえばドイツ(主にオーストリア)。ドイツの地、ライン川のほとりに生まれたのが、天才音楽家・ジャン・クリストフ・クラフトです。彼の家は祖父ジャン・ミシェル、父メルキオルと続く音楽家ファミリー。宮廷に雇われて音楽会で演奏を行う家系です。しかし生活は厳しく、ジャン・クリストフ本人にも教養と呼べるものはほとんどありません。なんだか音楽家のイメージと違いますね。

当時はレコードもCDもありません。貴族や王族にはお抱え音楽家がいて、晩餐会などの折にBGMを演奏させていたのです。現在のようなイメージの「コンサート(演奏会)」が確立されたのは19世紀のこと。稼ぎを片っ端からお酒に変えて呑んでしまうアル中の父親に苦しめられるクラフト一家。そんな中で長男のクリストフは事実上の家長として、バイオリンやピアノをはじめとする天才的な音楽の才能を伸ばしながら育つのです。

このような幼少期を過ごしたクリストフ少年は過激で敏感、プライドが高い青年に成長しました。カッとなりやすく、だまされやすく、後年しまいには殺人までしてしまうジャン・クリストフ。彼の恋や友情、既存の物に対する激しい嫌悪などが10巻に渡るこの一代記で、詳細かつ愛情こめて書かれています。ちなみに変わり者で色々こじらせてるジャン・クリストフの姿は、かの大音楽家ベートーヴェンをモデルにしているんですよ。

反抗児ジャン・クリストフは発達障害?(第3巻『青年』~第4巻『反抗』)

主人公ジャン・クリストフの姿を現代人が見たら、発達障害かADHD?という感想を抱くことになるでしょう。また、過敏な神経を持つHSP(Highly Sensitive Perdonの略。繊細さん、敏感さんとも呼ばれます)の資質も持ちます。とにかく空気を読まないクリストフは、敵を次々に作りました。せいぜい10代か20代そこらの若造がシューベルトやベートーヴェンをこき下ろし、同時代の音楽家たちをディスりまくるのですから当然のことです。

彼はある種の「コミュ障」で人と適切な距離感で関係を築くことができません。それにも関わらず人をあっけなく信じ、自分のすべてを知ってもらおうとします。ジャン・クリストフの人間関係は依存と紙一重。その姿にイライラと、そしてあるある感を覚える人もきっと多いことでしょう。文学でHSPを描いた作品は『若きウェルテルの悩み』ヘッセ『車輪の下』などが有名ですが、この『ジャン・クリストフ』もそうです。

それにしてもこの第4巻『反抗』でのジャン・クリストフ青年の大暴走は見どころ!多くの人が通り過ぎる反抗期、それを盛大にやらかしたジャン・クリストフの嫌われっぷりは気持ちいいくらいです。『ジャン・クリストフ』で描かれる音楽家は偉大ではありませんし、ヒーローでもありません。私たちとどこか似通った人間の姿です。

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