その他の国の歴史中東

ペルシア湾岸地域を動揺させた「イラン・イラク戦争」の背景・経緯・その後についてわかりやすく解説

日本は重要な資源である石油の40%をペルシア湾沿岸諸国からの輸入に頼っています。しかし、ペルシア湾岸は1980年代以降、政情が不安定したびたび戦争が起きてきた地域でした。1980年におきたイラン・イラク戦争は9年間も続く長い戦争となります。イラン・イラク戦争で多額の債務を抱えたイラクはクウェートに侵攻し、湾岸戦争を引き起こしました。今回はイラン・イラク戦争の背景・経緯・その後などについてわかりやすく解説します。

イラン・イラク戦争の背景

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イラン・イラク戦争の背景には、イスラム教内部での宗派間対立や根強く残るアラブ人とイラン人の民族対立、パフレヴィー朝を倒したイスラム革命であるイラン革命、サダム=フセインによるイラクのバース党政権などいくつかの要因があります。イラン・イラク戦争の背景を紐解いてみましょう。

スンナ派とシーア派による宗派的対立

キリスト教にいくつかの宗派があるように、イスラム教にも宗派の違いがあります。その代表がスンナ派シーア派です。

ムハンマドの死後、イスラム教団は正統カリフとよばれる指導者が率いていました。しかし、第4代カリフのアリーの死後、イスラム国家の主導権を握ったのがシリア総督のムアーウィヤです。ムアーウィヤに反発したのがアリーの子孫だけがイスラム国家の指導者たるべきだと考える人々でした。

ムアーウィヤの継承に異議を唱えなかった多数派はスンナ派とよばれ、アリーの子孫だけに後継者の資格を認める少数派はシーア派とよばれます。シーア派は現在のイランからイラクにかけて多く存在し、イラン革命を起こしたホメイニもシーア派の指導者であるイマームでした。

スンナ派はシーア派の主張を認めなかったため、両派はしばしば対立します。

アラブ人とイラン人の民族的対立

イスラム教を創始したムハンマドはアラビア半島出身のアラブ人です。ムハンマドやその後継者となった正統カリフたちはアラブ人をひきいて各地を征服しました。

正統カリフ時代やムアーウィアが建てたウマイヤ朝時代は、アラブ人が他の民族を支配する状態だったのでアラブ帝国ともいわれますね。現在、アラブ人の範囲はアラビア語を話し、イスラム教を信仰する人々と拡大して解釈されます。

イラン人はアラブ人よりも古い時代にペルシア帝国を建てるなど、中東地域で独特の文化を持つ民族でした。アラブ人やトルコ人の支配から脱すると、ペルシア語を話すイラン人たちはシーア派を中心とした独自の国を作ります

また、イランはシーア派が多く住む隣国のイラクにも影響を与える存在でした。そのため、アラブ人とイラン人はイスラム世界の中で対立することが多くなります

パフレヴィー朝を倒したホメイニ師によるイラン

第一次世界大戦後、イランを支配していたカージャール朝でクーデタがおきてレザー=ハーンがパフレヴィー朝を建国し、国号を正式にイランとしました。

産油国であるイランは欧米、特にイギリスと深いつながりを持ちます。第二次世界大戦後、国王パフレヴィー2世は極端な親英米政策を展開。アングロ=イラニアン石油会社がイラン油田の利権を独占します。パフレヴィー2世による極端な親英米政策は「白色革命」といわれました。

イラン国民は自分たちの財産である石油を国際石油資本に売り渡すかのようなパフレヴィー2世の政策に反発を強めます。1979年、シーア派の指導者ホメイニ師らを中心とする勢力は国王打倒を要求して暴動を起こしました。

その結果、パフレヴィー2世は国外に亡命。ホメイニ師はイラン=イスラム共和国の樹立を宣言します。イランでは裁判で宗教法であるシャリーアが適用され、イスラム原理主義を理念とした政治が行われるようになりました。

フセインのイラク大統領就任

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北・解体されたことで、中東は戦勝国であるイギリスやフランスの影響下に入りました。イギリス・フランスは中東各地を人工的に区分。中東地域の国境線に直線が多いのはそのためです。イラク地域はイギリスの信託統治時代を経てイラク王国として独立します。

1952年、エジプトでナセルによるエジプト革命が起きると影響はイラクに飛び火。イラク革命が起きて国王は処刑されました。革命で成立したイラク共和国のカセム政権はアラブ民族主義政党のバース党を弾圧します。

しかし、1963年のクーデタでバース党が権力を奪取。イラクはバース党の独裁政権となりました。1970年代にバース党内でのし上がったのがサダム=フセインです。フセインは1979年のバクル大統領引退にともない、イラクの大統領に就任しました。

イラン・イラク戦争の経緯

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1979年におきたイラン革命は中東や中東の石油と深く結びついた関係各国に大きな不安を与えました。イラン革命の輸出を恐れたアメリカはイラクへの軍事援助を実施します。北部のクルド人、南部のシーア派の抑圧によって政権を維持していたイラクのフセイン大統領は国民の目を外に向けさせるため、国境問題で対立していたイランと開戦。イラン・イラク戦争が始まりました。

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