日本の歴史江戸時代

金と政治の柵で失脚した江戸幕府老中「水野忠邦」とは?豪気闊達の忠邦の生涯を解説

3-1大坂城代時代

10年の奏者番と8年の寺社奉行兼任後の、文政8(1825)年5月15日の32歳の時に大坂城代に任命されます。西国の大名たちに睨みを効かせる要職で、官位4位下に昇進できる上に賄賂を貰う立場となり、「老中への切符」を手にしたと等しかったのです。

9月26日に江戸から大坂城に入城し、翌年には摂津、河内、播磨の合わせて1万5千石の飛地領を頂戴します。同じ石高を浜松から奪われますが、上方に近い飛地領は経済的にも有利で、飛地の年貢を大津で販売。更に、住友や鴻池など大坂の豪商10家との関係を持つことができたのです。

10家の中には危険人物もおり、先で不正無人の温床となります。借金強要も相当強引で、評判は最悪。最終的には、豪商の全てから借金を断られ笑いものになる始末でした。

3-2京都所司代時代

松平康任の老中昇進に伴い、文政9(1826)年11月の33歳の時には京都所司代へと出世します。忠邦は、康任を追い越し老中になろうと目論んでいたとか。腹黒い…。江戸幕府の遠国最高位の役職で、京都の守衛と天皇公家の統制及び交渉や西国大名の監視はもちろん、京都・奈良・伏見奉行などを指揮して政務を行う役目です。「越前守」となりました。

朝幕(朝廷と幕府)関係を円滑に保ち、交渉・連絡する上での、光格上皇や公家などの評判は良好でした。聡明で読書好き、公家文化を容易に熟せたことが、成功の鍵だったようです。特に笙に熱を上げ、上皇が名器「鳴樤」を贈ろうとするほど馴染んでおり、一年を過ぎると役人か公家か区別が着かないほどでした。所司代在任中に、朝幕の交渉役を通して、両者のあり方や運営方法を身に付けています。

3-3西丸老中時代

文政11(1828)年11月に、西丸老中を拝命します。当時の西丸の主は、将軍家斉の世子で第12代将軍となる家慶です。朝廷から内大臣を与えられた家慶の補佐役を勤め、家慶の子家祥(後の13代将軍家定)にも仕えました。

本丸老中5人の中には忠成がおり、忠邦は本丸老中への野心から、忠成に涙ぐましい努力をし再び目を掛けてもらいます。西丸でも老中となれば入用は増え、忠成への賄賂も嵩んだとか。更に、浜松藩の財政は悪化しており、台所事情は大変だったようです。賄賂は、見事に成功し権門に取り入り、本丸老中の座を確かなものにします。

老中なのに財政は逼迫。返済が滞り、商人から出入りを断られる事態に。国元から2千両の送金を得て凌ぐも、藩の財政担当からは「金食い虫」扱いをされます。

3-4大御所時代の金権腐敗

将軍家斉の座を狙う斉昭は、家斉の腰巾着で大老の忠成を蹴落そうとしたのです。斉昭は賄賂の代名詞田沼意次以上の悪辣さだと指摘される忠成を、「内貪、外廉(外面は人道的だが、内面は強欲な人物)」と記しています。意次時代に勝るとも劣らぬ金権腐敗ぶりだったのです。

でも、家斉の小姓から這い上がった忠成の悪行を裁けませんでした。これを問題視し告発を目論んだのが、「大塩平八郎の乱」の指導者大塩平八郎です。天保8年2月17日付けで、老中全員に「建議書」の提出を企みます。

3-5本丸老中時代

大坂城代から9年後の天保5(1834)年3月に、忠邦を出世街道に乗せた忠成の病死により本丸老中へ昇進。筆頭老中の大久保忠真は、新参者の忠邦が流行神仏になっていると報告します。幕府全体が忠成流の政治を続け、人々に賄賂を勧めた忠邦は新たな権門となり、役職や利権を求める腹黒どもが彼に群参していたのです。実に忠邦は、金銭腐敗のニューフェイスでした。

忠成の後釜を狙うライバル松平康任が、天保6(1835)年に起きた但馬出石藩仙石家の御家騒動に巻き込まれ失脚。筆頭老中の大久保忠真も亡くなり、自動的に忠邦が勝手掛に任命され、幕閣のトップの座を射止めます。

天保8(1837)年に、農村復興を目指し人返令や奢侈禁止令をだすも、御側御用取次水野忠篤・若年寄林忠英・小納戸頭取美濃部茂矩の「三佞人(さんねいじん)」と呼ばれる西丸派の実力者や大奥の反対にあったのです。政治を動かせない忠邦は、苦汁の日々を送ります。

ちょっと雑学

『藤岡屋日記』の第一巻に、「水引きて 加賀出てこまる 林かな」という、落首があります。「水野忠成が死ねば、大久保忠真が老中筆頭となり、忠成とつるんでいた林忠英は困窮する。」という庶民から見る、忠成死後の本丸大老の未来予想図です。でも、水戸藩徳川斉昭は、「忠成派」を排除に失敗します。

4.家斉の死と天保の改革

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将軍家斉を隠居させても忠邦の政治はできず、家斉の死後にやっと政を自分の才覚で行えたのです。忠邦は斉昭と共に、「享保・寛政に帰れ!」をスローガンにした、天保の改革を断行します。正に、金権腐敗政治の改革者となる日が来たのです。でも、勢いだけでずっこけた老中となってしまいますが…。

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