長州藩内の情勢を転換させた奇兵隊
高杉晋作の奇兵隊の存在によって、長州藩の政局は大きく動きます。長州藩の実権を握り、反幕府派を討伐していた親幕府派は、追い落とされ、再び反幕府派が実権を握ることになったのです。
高杉晋作の奇策が炸裂した第2次長州征伐
幕府は、長州藩が再び反幕府派に実権を握られたことから、1867年に将軍後見職になっていた一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)が第2次長州征伐で鎮圧に動きます。そのころには高杉晋作は、体が回復しており、薩長同盟で薩摩の西郷隆盛が手に入れてくれた軍船を使って獅子奮迅の活躍を見せ、幕府軍を撃退したのです。関門海峡の対岸の門司を落とし、ひるがえって今の山口県の瀬戸内側に軍船を移動させて幕府軍を圧倒しました。
同時に晋作の手を離れた奇兵隊も長州藩の部隊として幕府撃退に貢献したのです。
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奇兵隊は戊辰戦争にも参加
高杉晋作はその後、病が再発して下関で帰らぬ人となりましたが、彼の残した奇兵隊は、長州の主力部隊の1つとなっていきました。そして、薩長が中心になった倒幕戦争の戊辰戦争にも参加し、大活躍を見せたのです。
明治時代に生きた奇兵隊の発想_山県有朋の徴兵制度に生きる
長州藩で高杉晋作のあとに奇兵隊を率いた山県狂介(有朋)は、明治時代になると新政府の要職につきます。そして明治6年の政変(明六の変)で西郷隆盛が兵士たちを連れて下野すると、奇兵隊と西洋の欧米列強国の軍隊を参考として徴兵制度を作ったのです。彼自身は陸軍卿となります。そして西郷が西南の役で反乱を起こすと、山県有朋は自身で作った軍隊を率いて近代的な装備で薩摩藩士たちを圧倒しました。これが、日本帝国陸軍のデビューになったのです。
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常識にとらわれない高杉晋作の発想力から生まれた奇兵隊に学ぼう
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幕末は歴史的に時代が変わる過渡期にあり、高杉晋作の機知によって生まれた奇兵隊は大きな役目を果たし、明治維新を実現させました。そして、東西冷戦が終わって混沌として、地球環境もひどく傷ついた現代も人類にとって大きな過渡期にさしかかっているといえます。これまでの常識にとらわれない柔軟な発想が求められているのです。奇兵隊のような常識にとらわれない新しい発想で新しい社会を築いていきたいものですね。