南北朝時代室町時代戦国時代日本の歴史

戦いが絶えず幕府権力が比較的弱かった「室町時代」について元予備校講師がわかりやすく解説

信長の上洛と足利義昭の将軍就任

足利義輝が松永久秀らに殺害されたとき、義輝の弟は僧侶となっていて覚慶となのっていました。覚慶は松永らに捕らえられ、奈良の興福寺に軟禁されます。このとき、細川藤孝らの幕臣は覚慶を救出。覚慶は還俗して足利義昭と名乗り室町幕府復興を目指しました。

義昭は、はじめ越前の戦国大名朝倉氏をたよります。しかし、朝倉義景には上洛して幕府を再興しようという意思がありません。

そこで、義昭一行は尾張・美濃を制圧した新興の戦国大名、織田信長の元に向かいました。信長は義昭を奉じて直ちに上洛。松永久秀を降伏させ、三好三人衆を四国に追い払いました。

京都に入った足利義昭は室町幕府十五代将軍に就任します。このとき、信長と義昭の間を取り持ったのが明智光秀でした。

足利義昭の追放と室町幕府滅亡

信長の力によって将軍の座に就いた足利義昭ですが、信長の傀儡になるつもりはありませんでした。自分で政治を行うべく、義昭は諸大名などに命令を出そうとします。

信長は義昭に対して、勝手な行動をしないようにと「掟」を制定し義昭の行動を制限しました。これに怒った義昭は全国の諸大名に信長を討伐せよとの命令書を発行します。

こうして、浅井、朝倉、武田、毛利などがこれに応じて信長包囲網が形成されました。こうなると信長も義昭を放置することが出来なくなります。

信長は義昭が挙兵したときに義昭の居城を包囲し攻め落としてしまいました。義昭を捕らえた信長は義昭の命まではとりませんでしたが京都を追放します。これにより、室町幕府は完全に滅亡しました。

室町時代は鎌倉時代や江戸時代の比べると幕府の力が弱く、動乱の多い時代だった

image by PIXTA / 16294862

室町時代の始まりは朝廷が二つに分かれて争う南北朝時代でした。足利義満の時、有力守護大名を抑え南北朝を統一することで室町幕府は最盛期を迎えます。しかし、義満の死後は嘉吉の変では将軍が暗殺され、応仁の乱では京都が焼け野原になるなどして室町幕府は弱体化しました。室町幕府の末期は戦国時代とも呼ばれます。数多くの戦国大名の中から強大化した織田信長は自ら擁立した十五代将軍足利義昭を京都から追放し、室町幕府を滅ぼしました。

1 2 3 4
Share: