室町時代戦国時代日本の歴史

「戦国時代」はどんな時代?大まかな流れと異色の戦国大名を元予備校講師がわかりやすく解説

独断と偏見で選ぶ戦国大名3選

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戦国時代には多くの魅力的な戦国大名や戦国武将がいます。読者の皆様の中にも、お好きな人物がいるかもしれません。今回は、筆者の独断と偏見で3人の戦国大名を取り上げます。一人は信長にすら逆らった梟雄、松永久秀。もう一人は「弱い」とレッテルを張られがちですが、江戸時代までしっかりと生き延びた今川氏真。奥州最北の地で中央政権の力を利用しながら独立を達成した津軽為信の3人を取り上げます。

反骨の梟雄、松永久秀

松永久秀は戦国時代に大和国を治めた戦国大名です。久秀は畿内で随一の力を誇る三好長慶に仕えました。長慶は管領細川家に仕えていましたが、細川家を凌ぐ力を手にし、畿内一円を支配するまでに成長します。

長慶は久秀の能力を見抜き、家中でも重要な役職に抜擢しました。久秀は長慶の期待に応え、存分に能力を発揮します。その能力と功績によって久秀は大和一国の支配を認められました。

久秀が三好家の中で勢力を増す一方、他の有力武将は病死や戦死、落馬などで次々と死去。久秀に勝る力の持ち主は三好家からいなくなりました。1564年、三好長慶が死去。その後しばらくは三好三人衆とよばれた重臣たちと久秀が三好長慶の甥である三好義継を当主として盛り立てます。

1565年、久秀と三好三人衆は室町御所にいた13代将軍足利義輝を襲撃して殺害しました。さらに、1567年には久秀と三好三人衆が大和国で戦います。この時、久秀は三好三人衆が布陣していた東大寺を焼き払い、大仏殿を炎上させました。

1568年、信長が上洛し畿内を支配すると久秀は名器「九十九髪茄子」を献上し信長に仕えます。1577年、久秀は信長に反旗を翻しましたが敗北。名器「平蜘蛛」とともに居城である大和信貴山城の天守で爆死しました。

領地を失っても家名を保った今川氏真

今川氏は東海地方の駿河国・遠江国を支配した名門です。1560年、今川義元が25,000もの大軍を率いて上洛をしていた途中、尾張の織田信長桶狭間の戦いで敗れ討ち取られました。義元の死を受け、子の氏真が今川家の当主となります。

桶狭間の戦いの後、西三河岡崎城主の松平元康が独立。名を松平家康(のち、徳川家康)と改め仇敵である織田信長と同盟を結びました。氏真は家康の裏切りに激怒しましたが、打つ手がありません。

やがて、家康は勢力を東三河に拡大します。信長と同盟したことで背後を気にしなくてもよくなった家康は今川氏の領国である遠江国を侵食しました。

1568年、武田信玄は今川氏との同盟を破棄し駿河に侵攻してきます。北からの武田勢に加え、西から徳川勢が攻め込みました。防ぎきれなくなった氏真は家康に降伏。妻の実家である北条氏のもとに身を寄せました。

その後、氏真は家康に仕えたのち京都で後半生を過ごします。京都では和歌会や連歌の会にたびたび出席したようですね。

1612年、氏真は大御所となっていた家康と対面。家康に江戸品川に屋敷を与えられました。氏真は1615年に77歳で江戸でなくなります。氏真の子孫は儀式を監修する高家として江戸時代も存続しました。

中央政権と結びつき、独立を達成した津軽為信

戦国時代の後期、東北地方でも群小の勢力が大勢力に統合される時代を迎えつつありました。現在の青森県にあたる陸奥では南部氏がほぼ全域を支配。強大さを誇っていました。

このころ、津軽地方を統治していたのは南部晴政の叔父にあたる石川高信です。為信は高信の石川城工事の手伝いを装いながら、突然、石川場を襲撃。石川高信を滅ぼして津軽地方の支配権を手に入れます。

1580年代後半、南部氏や安東氏と戦いつつ勢力を拡大した津軽為信は。京都を中心とする地域で豊臣政権が力を増していることを知りました。

これからは中央政府が強くなる時代が来ると考えた為信は使者を豊臣秀吉に派遣。石田三成を介して秀吉に名馬と鷹を献上しました。これにより、津軽三郡、合浦の所領を安堵されます。

南部氏も秀吉に臣従し、為信は南部氏にとって反逆者であることを訴えましたが、先に秀吉に臣従していた為信の立場が有利で南部氏の主張は退けられました

同じ東北地方にいた九戸政実が豊臣政権軍の討伐を受けて滅ぼされたのと比べると、情勢判断の確かさがわかりますね。

豊臣秀吉死後の混乱は、家康が関ヶ原の戦いで勝利することで終息した

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100年にわたった戦国時代は秀吉の小田原征伐で幕を閉じます。しかし、秀吉死後の動揺により再び戦国時代に戻りかけました。1600年に関ケ原で家康が圧勝したことにより、戦国時代に逆戻りすることなく江戸幕府による支配に移行します。世の中は武力によって支配する時代から法による支配に変化しました。

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