日本の歴史

何人言える?日本のお札の肖像になった人物を一挙解説!

2024年に新しくなる日本の紙幣(1000円札、5000円札、1000円札)。お札になる人物として渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の名前が話題になっていますが、では、その前までに日本の紙幣に採用された人物の数、何人くらいいるかご存じですか?人の顔を採用するケースが多いわけですが、何か理由があるのでしょうか。今回はそんな、日本のお札の肖像画になった人物をすべてご紹介しようと思います。

一挙公開!日本でお札になった人物は全部で何人?

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外国のお札に目を向けてみても、エリザベス女王やジョージ・ワシントンなど、人物像を描いたお札はたくさんあります。各国々のお札のうちのおよそ70%が人物の肖像画を採用しているといわれているそうですが、これには「偽造防止」「偽札感知」という理由があるのだとか。人物画は複雑な絵柄にしやすいので偽札を作りにくいし、人の顔の絵は覚えやすいのでお札を使う際に偽物と見分けがつきやすいというメリットがあるのだそうです。日本でお札になった人物は、二千円札の紫式部を入れて全部で18人。どんな人たちなのか、駆け足ですが一挙ご紹介します。

#1 日本初のお札は伝説の女帝:神功皇后(じんぐうこうごう)

日本で初めてお札が作られたのは、1881年(明治14年)のことです。

肖像の人物は神功皇后改造紙幣1円券、5円券、10円券に使われました。翌年、50銭券と20銭券も作られましたが、こちらには人物の肖像画はありません。

名前に「改造」と付いていますが、これは、その前まで使われていた明治通宝紙幣の質が悪く偽造が横行したため、改良してこれと交換する、という意味からと思われます。

神功皇后とは、古代日本(古墳時代~飛鳥時代)の女帝。日本書紀には「オキナガタラシヒメノミコト」と記されています。

実在の人物か神話の世界の話か議論が分かれるところですが、日本各地、特に九州地方には、由来となった地名や神社、腰かけた石、湧き出た温泉など、ゆかりの地は数千か所とも。近年の研究では、実在していたのでは?との見方が強いようです。

#2 平安時代に活躍した学問の神様:菅原道真(すがわらのみちざね)

お札の中には、同じ人物が何度も使われているケースがあります。次にお札のモチーフになった菅原道真も、1888年(明治21年)の改造兌換(だかん)銀券5円券の他に、1942年(昭和17年)の5円券に至るまで、5回登場。お札の肖像画として人気が高かったのかもしれません。

菅原道真は平安時代の学者であり政治家。生没年は承和12年(845年)~ 延喜3(903年)です。

非常に優秀な学者であり、右大臣や太政大臣を歴任した人物でしたが、朝廷内の権力闘争に敗れ、大宰府(福岡県)に左遷されてしまいます。

現在では天満天神として全国各地の神社に祀られており、学問の神様として多くの人に親しまれている人物です。

#3 神功皇后にも仕えた忠臣:武内宿禰(たけのうちのすくね)

1800年代後半には、たくさんのお札が作られました。偽造を防止するために何度も改良が加えられたようです。

1889年(明治22年)に作られた改造兌換銀券1円券の肖像は、武内宿禰古代日本に数々の勇猛果敢な伝承を残す伝説上の人物です。

長きにわたり、応神天皇や仁徳天皇など多くの天皇に仕えたとされ、忠臣として知られることから紙幣に採用されたものと思われます。

武内宿禰も複数の紙幣に採用されている人物。1945年(昭和20年)の兌換券200円券まで、合計5回、お札になっています。

#4 朝廷に使える忠臣:和気清麻呂(わけのきよまろ)

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歴史に詳しい人でもちょっと馴染みのない名前かもしれません。

和気清麻呂は奈良時代末期から平安時代初期に活躍した武官。やはり、朝廷に仕える忠臣として名高いことから肖像に選ばれました。

1890年(明治23)年の改造兌換銀券10円券をはじめ、1945年(昭和20年)製造の日本銀行券10円券に至るまで、5回、お札になっています。

#5 大化の改新の立役者:藤原鎌足(ふじわらのかまたり)

中臣鎌足の名前で知られる、言わずと知れた「日本を変えた男」。飛鳥時代の貴族であり政治家です。

飛鳥時代のスーパースター・中大兄皇子(のちの天智天皇)を支え、当時のさばっていた蘇我氏を排除して大化の改新を成し遂げた歴史上の大偉人。改新の後も、中大兄皇子の腹心として、日本の政治の中心に立ち続けた、日本の夜明けを築いた人物として、紙幣に採用されたようです。

1891年(明治24年)の改造兌換銀券100円券を含め、4回、お札になっています。

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