大正日本の歴史明治昭和

1920年代の幣原喜重郎の協調外交とは?これによってもたらされたものとは?

第一次世界大戦参戦による中国への植民地進出

image by iStockphoto

しかし、日本は、第一次世界大戦が始まると、日英同盟を理由に戦争に参戦しました。敵側に当たるドイツの中国での植民地を攻撃して、占領し、中国政府に対して日本の権益を要求したのです。もともと、日英同盟では、両国は戦争が起こった場合には、互いに味方するのではなく、中立を保つという条約内容でした。本来は参戦理由には当たらなかったのです。

そのため、日本が中国に対してドイツの植民地権益を与えるなどの「二十一ヵ条の要求」をしたことは、中国内でも激しい抗議が起こりました。このことにより、日本は、アメリカだけでなく、イギリスに対しても不快感を持たせたと言えます。

現在では、韓国に対して条約違反は国際法に背くと言っていますが、日本自身が国際法に背く行為をしていたのです。

第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の成立

第一次世界大戦が終わると、この戦後処理を決めるヴェルサイユ会議がフランスでおこなわれました。そこでは、アメリカのウィルソン大統領が民族自決という主張を十四ヵ条の提案という形で提案し、それを基に話し合いがおこなわれたのです。しかし、実際には、大国による植民地解放はほとんどおこなわれず、植民地側は落胆して、抵抗運動が起こるケースもありました。中国や朝鮮でも、日本の植民地支配に対する抵抗運動が高まります。朝鮮では三・一独立運動、中国では五・四運動という日本の植民地主義に対する抵抗運動が起こっていたのです。

日英同盟の破棄へつながった

ヴェルサイユ会議では、中国山東省などの旧ドイツ植民地の権益が日本に認められましたが、同時に日英同盟は廃棄されることになりました。すなわち、日本に対しては、その時点での権益は認められたものの、中国の市場解放が宣言され、軍事力でなく、経済権益における進出がどの国でも可能になったのです。アメリカに対する配慮がなされた形でした。

幣原喜重郎によるワシントン体制を支える欧米との協調路線

image by iStockphoto

そして、ヴェルサイユ会議の次にアメリカのワシントンDCで国際会議が開催され、同時に第一次世界大戦への反省として軍縮会議もおこなわれました。このワシントン会議で、ヴェルサイユ体制と呼ばれた世界秩序から新たなアメリカも含めた世界秩序の枠組みとしてのワシントン体制に変化していったのです。それは、まさにアメリカとイギリスが、新たな新興国として警戒すべき対象として日本に狙いを定めて軍縮をせまるものでした。軍艦の建造において日本の軍備増強を押さえるようになったのです。1921年からのワシントン会議、1927年のジュネーブ軍縮会議、1930年のロンドン海軍軍縮会議などがおこなわれ、戦艦、空母などの建造競争に歯止めがかけられました。

日本は、幣原喜重郎の協調外交政策によって、これらの軍艦の建造抑制を受け入れていったのです。これには、陸軍だけでなく、軍縮の対象の矢面に立たされた海軍も大きな不満を抱えるようになりました

幣原喜重郎は欧米とは協調外交だが対中国に対しては強固姿勢

幣原外交の特徴は、欧米諸国とは協調姿勢をとるものの、中国に対しては厳しい姿勢をとり、ある意味、陸軍、とくに関東軍(朝鮮から中国東北部に駐留する陸軍)の中国東北部に対する進出には耳目を塞いでいました。

そのため、関東軍は中国東北部の満州進出を積極的におこなうようになったと言えます。

世界恐慌は国民に幣原喜重郎の協調外交にも不満をもたらした

image by iStockphoto

幣原喜重郎のこの外交政策は、1920年代には平和な世界秩序をもたらしました。しかし、それは1929年に生じたアメリカのニューヨーク株式市場における大暴落をきっかけとして起こった世界恐慌によって破綻が生じます。すなわち、世界恐慌によって、日本経済も大きな打撃を受け、国民生活、とくに農村などに大きな被害が出るようになったのです。さらに恐慌の最中に当時の浜口内閣が金輸出の解禁をおこなったために、円高になり、輸出が急減し、国民の政府に対する不満が高まります。そのため、これを利用して軍部は政府批判を強めたのです。

その結果、1932年には軍部の反乱である五・一五事件が起こり、以降は軍部政権が続いて戦争への道が続いていくようになります。

もともと、日本の内閣は天皇によって指名されて組閣しました。しかし、1900年の山県有朋内閣で導入された軍部大臣現役武官制度によって、陸海軍が現役武官を出さなければ、内閣は成立しない仕組み(一時停止)ができたのです。それを利用して陸軍は政権を自由にあやつるようになり、軍部政権によって戦争への道を突き進むようになりました。

次のページを読む
1 2 3 4
Share: