ドイツナチスドイツヨーロッパの歴史

なぜユダヤ人は迫害を受けた?ユダヤ人の歴史と迫害の歴史について解説

ナチスドイツによって600万人ものユダヤ人が虐殺されるという非常におぞましい事件が70年前にはありました。しかし、ユダヤ人の虐待自体はナチスドイツに始まったことではなくずっと前からヨーロッパ国内で迫害を受けていたのです。 そこで今回はそんなユダヤ人の苦難と迫害の歴史となぜユダヤ人が迫害されてしまったのかを探っていきましょう。

そもそもユダヤ人とはどんな民族なのか?

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今回の主人公であるユダヤ人ですが、彼達が誕生したのは紀元前12世紀ごろだと言われています。ちなみに、ユダヤ人という呼び名は正確なものではなく、本来はイスラエル人、多民族からはヘブライ人と呼ばれていました。イスラエルは今のユダヤ人の国名にもなっていますし、ヘブライは今のイスラエルの公用語であるヘブライ語にその名が残されていますね。ちなみに、ユダヤ人は今でこそいろいろいざこざがあるもののイスラエルという国が存在しているのですが、このイスラエルが成立したのはなんと1948年。それ以前はユダヤ人は国というものを持っておらず世界で一番国を持たない民族だと言われていました。

ユダヤ人はユダヤ教というキリスト教やイスラム教の祖先でもある宗教を信仰しています。しかし、この宗教がなかなか厄介なもので選民思想と呼ばれる『ユダヤ教を信仰しなければ人として見られない』というなかなか無茶苦茶な信仰があったばかりにこれが一つの迫害の原因となってしまいました。

ユダヤ人の王国

昔々、あるところにパレスチナというところがありました。そこにはユダヤ人が多く住んでおり、いつしか統一国家であるヘブライ王国を作り上げて統治し、ヘブライ語を作成。さらには民族の宗教でありキリスト教の祖先であるユダヤ教を信仰するようになり、自分のことを神から与えられた名前であるイスラエル人と名乗るようになりました。

しかし、そのユダヤ人の国家は長くは続きません。ヘブライ王国はダビデ王の頃最盛期を迎えるのですが、その後ソロモン王が神殿などの建設によって国家の財政を圧迫させるとヘブライ王国は二つに分裂。北にイスラエル王国が、南にユダ王国が誕生しました。

バビロンにおける迫害

こうして二つに分裂したユダヤ人の国家。しかし、さらに悪いことにこの王国は当時イケイケであったバビロン王国という国に滅ぼされてしまいます。この時代滅ぼされた国の住民は奴隷になるのが常。ユダヤ人も例外ではなくこの滅亡によってユダヤ人はバビロン王国の奴隷として50年生活を送ることを強いられてしまいました。

しかし、このバビロン虜囚によって始めてユダヤ人という民族意識が生まれるようになり、これまでバラバラに信仰されていたユダヤ教が確立されたりとユダヤ人の歴史の中でこの迫害は重要な転換点の一つだと言えるのです。

ちなみにこれは余談ですが、バビロン虜囚のことを英語ではEXILEと言います。そう、このバビロン虜囚の英語はあの有名なダンスユニットであるEXILEの語源なんです。これが果たしてこの虜囚に関係するのかどうかは微妙ですが、おそらくはバビロン虜囚のように苦難を乗り越えようという意図が込められているのでしょうね。

エジプト王国による迫害

こうして虜囚となってしまったユダヤ人ですが、紀元前538年にアケメネス朝ペルシアの王であるキュロス2世によってバビロン王国が滅ぼされるとユダヤ人は解放。晴れて自由の身となることができました。しかし、一難去ってまた一難。ユダヤ人はその後パレスチナの地にて飢饉が起こったことによってエジプトに移住。これに占めたエジプトはユダヤ人に強制労働をさせて奴隷とさせてしまいます。

しかし、この時ユダヤ人の1人であるモーセがユダヤ人のエジプト脱出を計画。旧約聖書にはモーセはエジプトの軍から逃げるために海をかち割ってそこを一気に駆け抜けるという伝説を残してユダヤ人のエジプト脱出を成し遂げました。その後モーセは神様から十戒を与えられ、預言者となったとか。これはユダヤ教では非常に重要なことですから覚えておきましょう。

ローマ帝国における迫害とイエスの誕生

こうしてエジプトを脱出してなんとかパレスチナに戻ってきたユダヤ人。しかし、ユダヤ人の国家を作ることはできず、パレスチナの地は他民族によって支配されてしまいます。さらに前37年にはイタリア半島の大国共和政ローマがパレスチナに進出。紀元6年にはローマの属州という立場となってしまいました。さらに131年にはローマ帝国は抵抗するユダヤ人を完膚なきまで叩き潰すためにユダヤ戦争を開始。ユダヤ人の抵抗を鎮圧してユダヤ教の聖地であるイェルサレム神殿は破壊されてしまいます。そしてその時に取り残された壁がのちに嘆きの壁となるのですが、それはまた後ほど。

その頃、ユダヤ教でも変革を行おうとするものが出てきます。それがあのキリスト教を成立させたイエス・キリストだったのです。

イエス・キリストはこの頃堕落していたユダヤ教を改革するために各地を布教してキリスト教を基となる教えを広めて周ります。しかし、ユダヤ教の関係者からすればこのイエス・キリストの活動は見過ごせるはずがありません。ユダヤ教の関係者はイエス・キリストを逮捕。即座に十字架にかけて処刑してしまいました。これがいわゆるイエス・キリストの昇天なんですが、この出来事によってユダヤ人は2000年に渡る迫害を受けてしまうということはまだこの頃は分からなかったのです。

中世ヨーロッパにおける迫害

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第二次ユダヤ戦争によってユダヤ人はローマ帝国の支配から逃れるために各地に離散してしまいます。そして時が経ち7世紀。この頃になるとユダヤ教の信じる神は同じ宗教であるイスラム教が台頭。しかし、運のいいことにこのイスラム教はジズヤ(人頭税)と呼ばれる税金を支払えば例えイスラム教徒でなくても生活を保障されていました。ユダヤ人はこのイスラム教の庇護下に入り、パレスチナやイスラム帝国の領内で生活していました。

しかし、とある時ユダヤ人の生活が一気に暗転してしまう一つの歴史的事件が起こってしまったのです。

十字軍によるユダヤ人の迫害

イスラム教の世界ではユダヤ人というのはあまり敵視されることはありませんでしたが、キリスト教においてはそんなことはありませんでした。

キリスト教の場合だとユダヤ人はキリストを処刑した張本人。キリストをローマ帝国に訴えかけたのも、ヨーロッパでは裏切りの代名詞とも言われているユダも、キリストに最終的な死刑を宣告したのも全てユダヤ人だったのです。

そのため、キリスト教ではユダヤ人は迫害されるべき人種だと思われるようになり、キリスト教が公式にローマ帝国で認められたミラノ勅令から一気に迫害を始めていくことになるのでした。

その迫害の代表的なものが十字軍のエルサレム侵攻です。十字軍というのはキリスト教の聖地だと言われているエルサレムをイスラム教徒から奪還するために組織された軍隊のことなんですけど、この十字軍はエルサレムに入城した瞬間にユダヤ人の大虐殺を実行に移します。

その理由はユダヤ人がキリスト教に相反する人種だからの一点張りです。

こうして大虐殺から逃れようとエルサレムを追われることとなったユダヤ人は国を失った世界最大の民族として世界各地に移住することとなったのでした。

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