中世に終わり告げたルターの「宗教改革」詳しくわかりやすく解説!
三十年戦争を経て近代社会への移行
宗教革命の結果、神聖ローマ帝国とローマ教皇の権威が低下するとともに、カトリック派を支持する人々とプロテスタント派を支持する人々の対立が鮮明になりました。ドイツにおいては、その対立が戦争にまで発展していきます。すなわち、三十年戦争です。当初は、カトリック派とプロテスタント派の宗教戦争の意味合いが強い戦争でしたが、それぞれをさまざまな領主たち、国が介入して戦争を拡大するようになりました。ヨーロッパ全土が戦争に参加する本格的な戦争になっていったのです。
結果的には、プロテスタント派を支持していたイギリス、オランダなどが勝利して、その講和会議で成立したウェストファリア条約が成立しました。その条約では、中世の領主たちを国王として扱い、国と国との条約が成立したのです。すなわち、初めて近代国家として国益というものが意識された条約になりました。それは、近代の始まりと言えたのです。
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プロテスタント国の発展と近代社会へ
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三十年戦争に勝ったプロテスタント国は、イギリスがカトリック派のスペインの無敵艦隊を破って新たな無敵艦隊となり、植民地を拡大していきます。また、もともとスペインの属国であったオランダは、この戦争で独立を勝ち取り、大船団でアジアとの交易をおこない、現在のインドネシアなどを植民地にしていきました。
その後、イギリスは産業革命が他国よりも先行し、世界中で植民地を拡大させ、最も富める国になっていったのです。こうして、現代につながる近代社会がルネサンスや宗教改革によってもたらされました。
宗教改革の功罪とは何か
ルネサンスと宗教改革は、現代社会を成立させるきっかけを作ったと言えますが、その反面で人間の富と自由に対する欲望というパンドラの箱を開けてしまったとも言えます。
すなわち、自由な発想と富へのあくなき追及は非人道的な植民地を生み、資本主義を生み出して社会の中に格差を生み出したのです。持てる者はさらに富み、持たない者は貧しい暮らしを強いられるようになりました。
それは、現在も続いていると言えるでしょう。
宗教改革によって開けられた富と自由への自制心が大切
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ルネサンスによってこじ開けられた中世社会の扉は、宗教改革によってさらに富と自由への欲望というパンドラの箱のフタを開けてしまいました。私たちの社会は、資本主義によって支配され、より豊かな生活を求めて、自らを縛り付けているのです。しかし、そのような社会であるからこそ、物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさを求める自制心が必要なのではないでしょうか。