イタリアヨーロッパの歴史

ミケランジェロが残した偉大な足跡と代表的作品5選

ミケランジェロといえば、イタリアルネサンスの最盛期に活躍した「美の巨人」として、あまりにも有名です。同時代に生きた偉大な芸術家としては、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ、ボッティチェリなどが挙げられますが、ミケランジェロの残した足跡や作品はあまりにも大きく、まさに別格として歴史にその名を刻んでいるのですね。著名な芸術家や音楽家などの場合、その死後に改めて作品が評価されることも多いのですが、ミケランジェロの場合は若い頃からその才能をいかんなく発揮し、絶えず有力なパトロンが付いていたと言われていますね。また、彫刻だけでなく絵画や建築にも造詣が深く、まさに天賦の才があったというのも間違いないところ。では、彼の偉大な足跡とともに、代表ともいえる作品を紹介していきましょう。

若くして天賦の才を発揮するミケランジェロ【ピエタ】

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1475年、フィレンツェの中流家庭に生まれたミケランジェロ。彼は若くして大いなる才能を発揮しようとしていました。彼の持っていた運や境遇によるところも大きかったのですが、何よりその才能に惚れ込んだ人物に恵まれたことが、彼を表舞台に押し上げるきっかけとなりました。

メディチ家に出入りし、芸術に目覚める

ミケランジェロは子供の頃から学問には興味を示さず、親の反対を押し切って、13歳の頃にギルランダイオという画家に弟子入りしてしまいます。すでにこの頃から優秀さを認められ、当時、フィレンツェで隆盛を誇っていたメディチ家の私的サークルへの出入りを特別に許されることに。

ここでメディチ家の古代彫刻庭園の素晴らしさに魅せられた彼は、当主のロレンツィオに住み込みでの修行を許され、また多くの著名な人文学者との交わりを経て、知的な教養を身に着けていくことになったのです。芸術家としての基礎は、この頃に確立されたといってもいいでしょう。

ピエタ製作で名声を得ることに

ところが1492年のこと。メディチ家当主のロレンツィオが死去し、長男のピエロが跡を継ぎます。しかしフランス国王シャルル8世の侵攻を許してしまった上に、修道士サヴォナローラが権力を握るに伴い、メディチ家はフィレンツェから追放されてしまったのです。

後援者であったメディチ家を失ったミケランジェロは、仕方なくベネチアやボローニャを転々とし、フィレンツェに戻ったのはその2年後のことでした。しかしこの間、修道院から遺体の提供を受けて解剖学を学ぶなど知見を大きく広げ、後に高い評価を得た「ピエタ」の製作にも、その知識を生かすことになるのです。

ミケランジェロは放浪の間にも彫刻作品を作り続け、それが後のローマ教皇ユリウス2世となる枢機卿リアーリオの目に止まることに。リアーリオの招きでローマへ移り住んだミケランジェロは、教皇庁のフランス大使から「ピエタ」の製作を依頼されます。

完成した彫刻作品「ピエタ」は人々から高い評価を受け、「生き生きとしたマリア」「死せるキリスト」との対比が素晴らしい。まさに奇跡だ。と喝采を浴びたのです。解剖学まで学んだ知識がこの作品に生きたのですね。

ピエタ

十字架から死んだキリストを降ろし、抱くマリアの像のこと。1499年にミケランジェロによって製作されたピエタが最も有名で、深い悲しみをたたえたマリアの表情や雰囲気。そして死体となったキリストの描写など、解剖学の見地から見てもリアリズムにあふれる作品です。

ミラノからやってきた見物人が、「ミラノ出身の彫刻家の作品だ」と耳にしたミケランジェロが、夜中にこっそり自分の名前を刻み込んだという。ミケランジェロの署名があるのは唯一この作品のみ。

このピエタは、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に安置されています。

故郷フィレンツェへ帰還する【ダヴィデ像】

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サン・ピエトロのピエタを完成させた後、ミケランジェロは間を置かずにフィレンツェへ戻ることになります。そこで過ごしたこの5年間で、彼は旺盛な創作活動を見せることになりました。有名な「ダヴィデ像」も青年期のこの頃に製作されたのです。

共和国政府から「ダヴィデ像」の製作を依頼される

ミケランジェロがローマに滞在していた間に、故郷フィレンツェでは、権力を握っていたサヴォナローラが失脚し処刑され、その後、ソデリーニが共和国執政官として就任します。そしてようやく政治的安定を取り戻すことに。ミケランジェロがフィレンツェに戻ってきたのもその頃で、共和国政府からさっそく仕事が舞い込んだのです。

大聖堂に40年前から放置されていた大理石の塊を材料に、ダヴィデ像を製作することを依頼され、ミケランジェロは足掛け3年の歳月を使って壮大な像を完成させました。その精緻な作風は、まさに彫刻家としての彼のキャリアを代表させるものでした。

レオナルド・ダ・ヴィンチと大ゲンカ

ダヴィデ像が完成する頃、ちょうど見学に来ていた執政官のソデリーニが像を見上げて一言。

「これは素晴らしい!でも、ちょっと鼻が大きすぎないか?」

するとミケランジェロは鼻の部分をノミで叩くふりをしながら、持っていた大理石の粉をパラパラと…

「これでどうですか?」とミケランジェロが言うと、ソデリーニは「いいね!すごく良くなった!」と満足して帰っていったそうです。

また、ダヴィデ像を広場の真ん中に置きたかったミケランジェロは、屋根の下に置くべきだと主張したレオナルド・ダ・ヴィンチと真っ向から大ゲンカに。当時ミケランジェロは30歳、ダヴィンチは50歳でしたから、年下の若造が大ベテランに食って掛かったわけですね。

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