- 美しい妻・ガラシャとの出会いまで
- 父に見捨てられた?苦難の少年時代
- 自分の知らない間に弟が生まれていた
- 織田信長の仲介により、ガラシャと結婚する
- ガラシャに対する歪んだ愛情表現
- 妻の父が逆賊に…忠興の苦渋の決断
- 幽閉から解かれた妻を監視するようになる
- 鬼と蛇の夫婦?奇妙な関係が続いた2人
- 豊臣政権での忠興と、ガラシャの改宗がもたらした悲劇
- 妻のキリスト教改宗に怒るも…妻は揺らがず
- 石田三成との不仲
- 関ヶ原の戦いとガラシャの死
- 妻への罪滅ぼし…キリスト教式の葬儀に参列
- 戦国時代を生き延び、やがて丸くなる
- 角が取れて丸くなる
- 筆まめ、医学、武具、茶の湯…当代きっての文化人
- 多面性の男・細川忠興
この記事の目次
美しい妻・ガラシャとの出会いまで
細川忠興は、両親に半ば見捨てられたような苦難の少年時代を過ごした後に、ようやく父のもとに戻ることができました。そして結婚相手となったガラシャと出会います。美男美女のカップルとして仲睦まじく暮らしていた2人ですが、やがて激動の時代へと突入していくこととなりました。
父に見捨てられた?苦難の少年時代
永禄6(1563)年、忠興は室町幕府重臣・細川藤孝(ほそかわふじたか)の長男としてこの世に生を受けました。
この頃、父が仕えた室町幕府は凋落の時期を迎えていました。第13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)が暗殺されるという大事件が起き、父・藤孝は義輝の弟・義昭(よしあき/後の第15代将軍)を救い出すなど、あちこち奔走していたのです。
このため、混乱の京都にあって、忠興はほったらかしの状態となってしまいました。乳母と町屋に身を寄せてひっそりと暮らし、平民の名前までつけて息をひそめていなくてはならなかったのです。母はすぐに父に呼び寄せられたというのに、忠興に対して、父からの迎えはいっこうにありませんでした。
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自分の知らない間に弟が生まれていた
将軍暗殺が永禄8(1565)年のことでしたが、忠興のもとにようやく父の迎えがやって来たのは、それから4年ほども経ってからのことだったそうです。
しかも、両親との再会時、まだ会ったこともない弟までいたというのですから、忠興の衝撃ははかりしれません。
4年の間に弟がいつの間にか生まれており、自分をのけ者にして幸せに暮らしていたのか…と、幼い忠興は愕然としたのではないでしょうか。そして、このことは彼の将来的な人格形成に少なからず影響を与えたのではないかと思います。
織田信長の仲介により、ガラシャと結婚する
それでも、忠興は優秀な武将として成長していきました。
父・藤孝は足利義昭を見限り、織田信長に従うようになり、忠興も行動を共にします。天正5(1577)年には初陣を果たし、活躍を信長に称賛されました。
そんな忠興に対し、信長がある縁談を持ちかけてきます。
明智光秀の娘・玉(たま)との結婚話でした。
この「玉」こそ、後のガラシャ。ガラシャ夫人という通称がいちばん有名かと思いますので、今回は「ガラシャ」で統一しますね。
そして2人は、天正6(1578)年に祝言を挙げ、晴れて夫婦となったのでした。忠興も玉も共に16歳でした。
容姿端麗な2人の姿を見て、信長さえも「人形のようだ」と気を良くしたと伝わっています。信長仲介の政略結婚でしたが、夫婦仲はきわめて良好でした。
しかし、天正10(1582)年、夫婦の関係すら一変させる大事件が起きます。織田信長が明智光秀によって本能寺で討たれてしまったのでした…。
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ガラシャに対する歪んだ愛情表現
本能寺の変の当事者が、妻・ガラシャの実の父・明智光秀だったことは、忠興のみならず細川家全体に大きな衝撃を与えました。結果、細川家は光秀に加担しませんでしたが、忠興はガラシャの処遇について悩むこととなります。愛しているからこそ…の思いは、やがて歪んだ形となっていきました。2人の関係はどう変化したのでしょうか?
妻の父が逆賊に…忠興の苦渋の決断
本能寺の変の当事者は、ガラシャの父・明智光秀でした。
信長を討った勢いで天下を掌握しようとした光秀は、娘の嫁ぎ先である細川家にも協力を頼みます。
しかし、細川家では藤孝・忠興ともに動くことはありませんでした。
いくら玉の父親といえど、主である信長を殺した時点で大罪を犯したも同然。そして、豊臣秀吉が討伐の兵を率いて京都に帰還すると、あっという間に光秀は敗れてしまい、細川親子の選択は結果的に正しかったということになったのです。
忠興はこの頃父から家督を譲られました。しかし、すぐに難局に直面します。
それは、妻・ガラシャの処遇についてでした。逆賊の娘となった彼女をそのままにしておくのは、周囲の目を憚らなければいけませんでした。
そして、忠興は、やむなくガラシャを人里離れた場所に幽閉することにしたのです。父の罪が及ばないようにと、せめてもの愛情だったわけですね。
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